- 監督要請を断った人を挙げるスレ
248 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/26(火) 00:00:56 ID:ImLRvupz - 確かに広岡−森時代は来ていない。
あの昭和55年オフ長嶋に断られたうえ次に打診した上田利治にも「先約があるので・・・」とフラれた。 あの時根本から上田への監督系譜だったらある程度強くはなっていたかもしれないがあそこまでの黄金時代はおそらく来ていない。
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- 2001年のプロ野球を語ろう
464 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/26(火) 01:16:01 ID:ImLRvupz - >>463
その神宮の試合前の時点では当時140試合制で 5 中日 60勝72敗4分け 6 阪神 57勝77敗2分け 残りはともに4試合。両チームのゲーム差は4。 当時は勝利数で順位を決めていたため残りを中日0勝、阪神全勝で単独5位の可能性は一応あった。 ちなみにこの試合に負けるか引き分けるかで単独最下位が決まる試合だった(結果は引き分け)。 先発・伊達昌司がいきなりペタジーニに38号3ランを浴び決まった感さえあったが連打で一時は逆転。 この年の命綱といえる伊藤、遠山、西川、成本の救援陣だけならず前述の藪、そして金沢でヤクルトの攻撃をかわした。 石井一KO、谷中の完封という前日に続き阪神は野村監督のヤクルト時代の本拠地で最後の抵抗を見せた。
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- 1988年のプロ野球
171 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/26(火) 23:28:14 ID:ImLRvupz - この年の阪神、GWの東京ドームでの巨人3タテもありバース問題がありながらも
5月下旬の6連勝と善戦し28日時点では貯金3(20勝17敗)で2位だった。しかしその後すぐ8連敗したのが痛くあっという間に5位まで落ちた。 伊藤の離脱と遠山の大不振で枚数を欠いた先発陣は新人・野田に6年目24歳の御子柴や移籍組の久保、岡部を谷間で起用したりなど試行錯誤の日々だった。 北村だけならず当初は大野久で獲得しようとした田尾安志も「もう少し実力者を」と西武に断られて吉竹どころか左腕・前田耕司までつける拙さ。 外野の守備力は年々下降していった。5番・金森以上に5番・渡真利、6番・木戸により哀愁を感じた。 15年ぶり復帰の田宮謙次郎をヘッド、大学の後輩藤井栄治を打撃コーチで入閣させるも効果は出ず。機動力アップを提唱しながら発揮させる事が出来なかった田宮は1年で更迭となった。
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