- ★もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 2★
458 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/03(日) 20:40:36 ID:XVwjf4wv - ・18歳 巨人入り
・22歳 一本足に転向 ・24歳 一本足打法が完成し、日本でタイトルを連続獲得、国内無敵に ・25歳 メジャー入り、一塁のレギュラーを獲得し、四番、五番を打つ ・35歳 メジャーでのレギュラーの座が危うくなる ・36歳 日本に凱旋帰国、巨人に復帰 ・40歳 日本野球の至宝、象徴として数年活躍した後、引退 だいたい、こんなところではないか? 入団3年間のパッとしない成績では、メジャーなどとても無理だし、 アメリカでプロキャリアを始めても、あちらの放任主義では才能が開花しなかっただろう。 とにかく、荒川コーチに出会って一本足打法に転向した後でなければ、メジャーなど話にならない。 また、日本での成績を見ても、30代後半には、競争の厳しいメジャーでは通用しなかっただろう。 なので、上記の年譜が想定される最高のキャリアではないかと。 だいたい打者として完成された状態で渡米して、15、16年間メジャーでプレーできてたとして、 通算500本塁打、通算打率.285くらいが想像できる上限かな。 皆さん成功のハードルが高いが、上記は無理でも、10年 .270、300本なら大成功ではないかな。
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- 広岡達朗と野村克也どっとが名将?
736 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/03(日) 20:47:08 ID:XVwjf4wv - >>735
732ですが、ノムのことはほとんど書いていません。 というのも、監督、選手としての回想や技術論が中心で、 コーチ時代に関わったノムについては、記述がほとんどなし。 広岡監督、中西コーチの話や、自分が指導した選手のことが多いかな。 ノムについては、監督を引受けるときに、野村監督の後でプレッシャーがかかった、 受けるべきかどうか迷った、と書いてあるくらい。
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- ★もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 2★
473 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/03(日) 23:08:30 ID:XVwjf4wv - >>467
大下弘の伝記によると、大下も米球界から誘われたらしい。 大下は、昭和20年代にハワイの今で言うウインターリーグで高打率を残した。 それで、地元の関係者にこちらのマイナーに残ってプレーしろと薦められたと、 当時の妻への手紙に書いてあるそうだ。 杉下もメジャーのアメリカ・モデストでのキャンプに参加し、 フォーク(アメリカでも珍しかった)を評価され、 アメリカに残れと言われたが、戦後間もなくで対米感情の悪い時代で、 とてもそんな気にならず受け流したとか。 どちらも、どれだけ本気の誘いかは不明ですが、 二人とも戦争に行ったし、大下は本物の特攻崩れだから、 今みたいに気軽に米球界入りはできないのかね。
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- ★もしも王貞治がメジャーに挑戦していたら 2★
479 :神様仏様名無し様[sage]:2010/10/03(日) 23:34:13 ID:XVwjf4wv - 落合は、ロッテ時代のオフにドミニカのウインターリーグで
メジャーやメジャー予備軍とプレーして腕を磨こうとしたが、 なぜかロッテ球団に止められた。 今となれば、つくづくもったいない話だ。 また、巨人だが中日時代のインタビューで、メジャーなら世界最高峰だから、 給料タダでもプレーしたいと言ってた。
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