- 産経抄ファンクラブ第272集
451 :文責・名無しさん[sage]:2020/10/18(日) 07:12:53.28 ID:cLDEhjBn0 - 産経抄 10月18日
司馬遼太郎や井上靖をはじめ、元新聞記者の肩書を持つ作家は多い。『銭形平次』を生んだ野村胡堂も、創作活動を続けながら60歳まで新聞社に勤めた。胡堂によれば、昔の記者は劇評を書くにしても招待切符など使わず、自腹で観劇したという。 ▼「名のある新聞の記者ほど清廉なものはない」と随筆にある。戦前の社会部長時代には盆と暮れに進物が届くのも珍しくなく、一つ一つを送り返したとの挿話も残る。胡堂にかぎらず昔の新聞人は、気骨という太い一本の線を取材対象との間に引いていたのだろう。 ▼「昔の」と書いた。記者の端くれとして、「いまも」の自負はもちろんある。日本新聞協会による今年の調査では、新聞の情報を「信頼できる」と答えた人が69・5%と、テレビなどの媒体を上回り最も高かった。折からの新聞週間に、改めて背筋を伸ばしている。 ▼「危機のとき 確かな情報 頼れる新聞」が今年の標語である。インターネット上には不確かな情報があふれ、新型コロナウイルス禍の社会に不安をあおっている。新聞に寄せられる信頼とは、丁寧な取材による裏付けを経た正確なニュースの提供にほかならない。 ▼「新聞は歴史の秒針」と評したのはドイツの哲学者、ショーペンハウアーだった。個々に異なる論調も商品である以上、一紙が万人にとっての正しい「秒針」になることはあり得ないものの、事実と正論を世に出し続けることが信頼の上積みにつながると信じたい。 ▼取材相手と記者の距離をめぐり、小紙が批判を受けたことは承知している。相手にそれでも肉薄し、発表を待つだけでは取れないニュースを届けるという姿勢は変わらない。歳月の試練にも錆(さ)びず、折れず、強い「秒針」であることをお約束する。
|