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やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その120

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やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その120
680 :[]:2020/01/24(金) 21:55:34.84 ID:hJKkkQsC0
19年12月12日(木)朝日新聞東京版朝刊オピニオン面・耕論「万歳!万歳!万歳!…?」

  学校でも球場でも国会でも見られる身ぶりだ。万歳が悪いわけじゃない。
  だが「天皇陛下万歳」があれだけ繰り返されると……。


向後恵里子さん(明星大学准教授)   統治に身を委ねる自覚を

公的な場で万歳が唱和されたのは、1889(明治22)年2月。大日本帝国憲法の
発布の際に帝国大生たちが「天皇陛下万歳」を歓呼したのが最初とされています。
このとき、万歳という声と動きの身ぶりが発明されました。

ただ、所作や発声に厳密な規定があったわけではなく、比較的「ゆるい」作法だった
ようです。「三唱まで」などと定めてもいません。ある意味でゆるかったからこそ、
人々が換骨奪胎しながら祝賀の場で使い始め、以後浸透していったのだと思います。

今年11月9日の天皇陛下即位を祝う国民祭典で40回以上も「天皇陛下万歳、万歳」が
繰り返されました。年配の方からは「戦前を想起させる」という感想もあったようです。
私も違和感は覚えましたが、延々と続く万歳はその過剰さが現代らしく、「ゆるさ」
「軽さ」も感じました。

1894年の日清戦争の頃には全国各地で「天皇陛下万歳」が叫ばれ、次第に日本の
軍国主義的な象徴の意味合いを強めていきます。しかし今でも「手のひらをどっちに
向けるか」など正しい所作をめぐって諸説尽きないのは、当初から厳粛さが求められる
作法ではなかったからです。

転勤で栄転する会社員を、駅で万歳して見送る場面は昭和の映画によく見られます。
1980年代には読売ジャイアンツのクロマティ選手が外野席の観客に「バンザイ」
コールを繰り返しました。歴史的文脈から離れても、この言祝ぎの身ぶりは戦後も
成立し使われていました。  (続く)
やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その120
681 :[]:2020/01/24(金) 22:05:13.53 ID:hJKkkQsC0
>>680
(続き)

ただ、万歳が「統治する/される身ぶり」であることを忘れてはいけません。腕を
肩より上に何度も上げる行為は自然な動きではないですし、人前で大声を出すことも
普通はありません。万歳をするには「これをする」という意志の力、個人として身体を
統治することが必要なのです。

一方で万歳には、祝う場と、祝う相手、共に祝う集団が伴います。自分の祝意を相手に
届けるという実感を持ちつつ、統治される集団の一人として自分を治める行為です。
万歳しながら国家という大きな物語を担う存在に自分を教育していく。戦前、人々は
天皇陛下万歳を繰り返し「帝国の臣民」に再編成されていったのです。

1940年に「紀元2600年」を祝う式典が皇居前で開かれました。戦前の万歳の
一つのクライマックスです。私があの場にいたら、歓喜して万歳をしてしまうかも
しれません。集団的陶酔を誘う身ぶりは価値観の違いを超え、人を喜びで満たすもの
だからです。自分のどのを震わせるものは何か、腕を上げ下げさせる力は何なのか。
自分が身を委ねているものを見て、自分を疑うことが万歳への違和感の一歩だと
思います。

(続く)


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