- 産経抄ファンクラブ第260集
159 :文責・名無しさん[sage]:2019/12/05(木) 05:38:44.96 ID:+Rezj9og0 - 産経抄 12月5日
山梨県大月市の宣伝文句は、「富士の眺めが日本一美しいまち」である。先月末に86歳で亡くなった山岳写真家の白籏(しらはた)史朗さんは、この街で生まれ育った。家庭の事情で高校に進まず、自宅で6人の弟、妹の世話をしていた。 ▼ある日、故郷の風景をとらえた1枚の写真との出会いが人生を決めた。写真家を志し18歳で上京、富士山の撮影をライフワークとしていた岡田紅陽さんの弟子となる。それからは、写真機材を背負いながら、歩き回る毎日だった。 ▼師匠が富士山を見つめているとき、「それは名人同士の真剣勝負を思わせる息づまる時間」だった。突然、目の前に岡田さんの右手が伸びてくる。 レンズかフィルターか、瞬時に判断して渡さなければならない。やがてこれこそ、「先生の無言の教え」だと気づくようになった(『山と写真 わが青春』)。 ▼5年後に独り立ちしてからは、アルバイトで資金をためて山に入る生活が続く。29歳で当時の日本では珍しかった「山岳写真家」を名乗った。 国内の山々から、ヨーロッパアルプスやヒマラヤへと仕事の領域を広げていった。海外での長期の撮影旅行から帰ってきて富士山を見上げると、ほっとすると語っていた。100冊を超える著作には、もちろん富士山の写真集も含まれている。 ▼登山がご趣味の天皇陛下は、高校時代から白籏さんの写真集のファンだった。白籏さんは東宮御所に招かれると、撮りためた写真を持参するのが常だった。あるとき陛下に好きな山をお尋ねしたことがある。「形の美しさでは富士山ですね」と答えられたそうだ。 ▼静岡、山梨両県が制定した「富士山の日」(2月23日)は来年から「天皇誕生日」の祝日となる。白籏さんの誕生日でもあった。
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