- 産経抄ファンクラブ第250集
317 :文責・名無しさん[sage]:2019/01/20(日) 08:02:49.50 ID:gEUSNRwl0 - 産経抄 1月20日
冬木立の下を歩くと、ふと気付くことがある。裸の枝が織りなす網の目を透かし、仰ぎ見る空は思いのほか青い。揚げ損ねの洋凧(ようだこ)を召し捕ったサクラの枝は、すでに新たな季節の予感をふくらみの中に宿している。 ▼内村鑑三の詩にある。〈春の枝に花あり/夏の枝に葉あり/秋の枝に果あり/冬の枝に慰(なぐさめ)あり〉。 冬枯れの中に空の青や春の兆しを見るように、すべて取り払った後に見える景色がある。人の生涯や一つの時代が、時の流れを下った先に評価が定まるのと似ている。 ▼〈もう百年もたてば…〉と三島由紀夫は書いた。現代という時代の住人は、やがて一つの時代思潮の中へと組み込まれる。 「重厚」と尊び「軽薄」と蔑(さげす)んだものが一緒にされ、〈僅(わず)かな共通点だけで概括される〉と。「平成」という時代は、どう評されるのだろう。 ▼バブルがはじけた後、ぬかるみに足を取られた経済は「失われた20年」と気の滅入(めい)る言葉で語られた。 昨今の好景気は実感に乏しく、特効薬のない少子高齢化、協調から対立へと軸が移りつつある国際社会の中で、見通しの利かぬ薄暮を迎えているのも事実だろう。 ▼さりとて、負の記憶一色の時代でもない。大きな災害の度に、人は痛みを分かち合う術(すべ)を覚えた。ボランティアという無私の種をまき、思いやりの花を咲かせる喜びも知った。カネだけではなく人を出すことで、世界各地の平和維持活動に居場所を見つけてもいる。 ▼あすで「平成」も残り100日となる。どう概括するかは後世の評価に委ねるとして、次の世代に胸を張れる果実を多少なりとも残せた季節だと信じたい。先の詩はこう続く。 〈花散りて後に/葉落ちて後に/果失(う)せて後に/芽は枝に顕(あら)はる〉。冬枯れの中にも、春の息吹はある
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