- やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その116
753 :☆[]:2019/01/12(土) 21:53:51.23 ID:dqSygsT40 - 2018年12月20日(木)朝日新聞東京版朝刊オピニオン面・論壇時評
歴史社会学者 小熊英二 閉じこもる言論 固定ファン頼み こぼれる声 @ロバート・D・エルドリッヂ「土砂投入 日米関係の『悲劇』」(朝日新聞東京本社版 12月17日付朝刊) Aプチ鹿島「新聞は言論を届けるためにいちいち反論して可視化を」(Journalism12月号)、 小川榮太郎「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」(新潮45・10月号) B倉橋耕平「右派論壇の流通構造とメディアの責任」(世界10月号) C福田直子「SNSと言論の自由」(世界1月号) D北村肇「『週刊金曜日』が生き残るために奇跡を信じたい」(創12月号) E遠藤薫「『声なき多数者』の声を聴け 意識調査から『安倍一強』の謎を解く」 (Journalism12月号) (続く)
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755 :☆[]:2019/01/12(土) 22:06:02.83 ID:dqSygsT40 - >>753
(続き) 「海兵隊も辺野古移設を望んでいるわけではありません。移設後の基地は、普天間 飛行場よりも滑走路が短く、有事に動く主力の軍用機が離着陸できない」 「私は安倍政権を評価する立場ですし、日米同盟は当然、強く支持しています。 それだけに辺野古への土砂投入は、非常に残念です」 元米海兵隊外交部次長のロバート・D・エルドリッヂの発言である(@)。 彼は「長い目で見ればいずれ米軍はいなくなります」「国民のお金を使い、使えない 施設を造る。これは、政治・行政の大きな失敗といえます」ともいう。 エルドリッヂは、「正論」など保守系雑誌によく寄稿する日米関係史の研究者だ。 そういう人が政権に批判を述べるのは、今では珍しくなってしまった。 ほんらい論壇や議会は、多様な意見を交わすための場だ。ある物体の正体を探るとき、 「あれは円だ」と決めつけるのは危険である。「あれは円ではなく三角だ」という 批判も取り入れないと、「実は円錐だった」という真実に至れない。神ならぬ人間の 認識は限られたものだから、互いに批判を交わし合わないと、本当のことはわからない のだ。 (続く)
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757 :☆[]:2019/01/12(土) 22:22:30.15 ID:dqSygsT40 - >>755
(続き) だが世にいう「批判」には、一方的な他者攻撃もある。これは互いに意見を交わし、 発展させようという批判ではない。 なぜそうなるのか。新聞12紙を読み比べているプチ鹿島は、文芸評論家の小川榮太郎 が書いた「朝日新聞批判」の分析を引用する(A)。小川いわく、「『朝日新聞を叩く』 『嫌韓本を書く』となれば、一定のメンバーが喜び勇んでその言論戦に馳せ参ずる。 手堅いマーケット=支持層があり、安全地帯からどれだけ『敵』を悪し様に語っても 許される構図が確立しているからだ」 こうなってしまうと、これはもう「批判」ではない。批判する対象と意見を交わす気が なく、「仲間うち」に向けて書いているだけだからだ。 雑誌でもネットでも、「仲間うち」に喜ばれることを載せた方が、短期的には読者が 増えたりする。社会学者の倉橋耕平は、「正論」が出版不況下で歴史認識問題の記事を 増やしたり、読者投稿欄を拡張したりして、固定ファンをつかみ部数を伸ばしたことを 指摘する(B)。 だがこういう方針は、小川がいうように「安全地帯からどれだけ『敵』を悪し様に 語っても許される構図」を作りがちだ。そうなると、やがて「仲間」の外には通じない 言葉を発してしまう。小川自身もLGBT関係の寄稿で批判され、「新潮45」の 休刊を招いてしまった。 現在では、極論で固定ファンをつかもうとする傾向がさらに増えている。倉橋によると、 昨年にある企業が、反日・嫌韓ブログを書くライター募集の広告を出した。「政治系の 記事作成。保守の思想を持っている方限定」という内容で、原稿料は1800〜4千字 で800円と激安だ(B)。こうした低廉な言論製造が、極論の流布を加速している。 (続く)
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759 :☆[]:2019/01/12(土) 22:33:30.74 ID:dqSygsT40 - >>757
(続き) ネット上の極論の流布は日本に限らない。その多くは、ごく少数の「ファン」による ものだ。ドイツの極右政党AfD(ドイツのための選択肢)は、既存二大政党より フェイスブック上の「ファン」が多いが、そのうち5%の声高な少数者が、 ヘイトスピーチに当たる書き込みの半分以上を書いていた。近年ドイツのメディアは 電子版のコメント欄を制限する傾向にあるが、その原因は、少数の者が極論を大量に 書きこみ、まともな意見交換ができないためだ(C)。 固定ファンに頼る傾向は、保守派だけに限らない。「週刊金曜日」の編集長や発行人 だった北村肇は、この雑誌は「リベラルを自認する高齢者の雑誌」に特化するしか ないと述べている(D)。北村によると、これまで読者層を広げる努力をしてきたが、 実らなかったという。 だがこの方針はまずいと思う。確かに読者層を広げるのは難しい。だが固定ファン だけに向けた言論は、必ず質が落ちる。広い読者層を意識するのとしないのとでは、 言論の緊張感と充実度が違う。 (続く)
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760 :☆[]:2019/01/12(土) 22:48:09.45 ID:dqSygsT40 - >>759
(続き) また言論が固定ファン向けばかりになると、疎外される人々が増える。社会学者の 遠藤薫は今年10月の意識調査から、対象者の59%を占めた無党派層をこう 記述する(E)。「男性より女性でその割合が高く、若年層になるほど多く、学歴が 低い層ほど多く、世帯年収も低い方が多い」「ソーシャルメディア上で他者攻撃を したことのある人の割合が圧倒的に低い」。意識面ではリベラル層に近いが、選挙では 棄権が顕著に多く、「政治に対して『自分にも何かができる』と思っている人が 少ない」。遠藤は、こうした人々の声を適切にすくい取っていないことが、現在の 政治・言論の閉塞状況の原因だと位置づけている。 こうした人々は声高ではない。だが彼らは必ずしも無知ではない。ドイツの事例では、 読者が住む地域の記事のコメントの方が、世界や全国のニュースより、具体的で議論に 値することが書かれるという(C)。人間誰しも知見は限られているが、逆に言えば 誰しも他人にない知見を持っている。固定ファンに閉じた言論は、そのことを見逃し がちだ。 言論をなすものは、常に外部に開かれていなければならない。その外部とは、意見の 異なる人々だけではなく、声高には声を発しない人々をも含んでいる。この当然の 作法を踏まえずして、言論の質も、社会の発展もありえないのだ。 (終り)
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