- 産経抄ファンクラブ第228集 ©2ch.net
662 :文責・名無しさん[sage]:2017/04/14(金) 05:18:16.07 ID:q80VrM1Q0 - 【産経抄】「ファイトのファ」って歌ってたんだ 4月14日
高校在学中から米軍のクラブで歌っていたペギー葉山さんは、芸名からハーフによく間違えられた。 父方の先祖は広島藩主の家老職を務め、母方の祖父は会津藩の白虎隊の生き残りという家柄である。 ▼友人にかけた電話が混線して、偶然つながった米国人男性の一言がきっかけとなった。「君の声はペギーというイメージだね」。 葉山を選んだのは、御用邸があってイメージがよかったからだ。 ▼オーストリア人の音楽家を祖父に持つ、俳優の夫、根上淳さんはクオーターである。 月刊誌のグラビア撮影で知り合った二人はデートを重ねるが、婚約発表まで誰にも知られなかった。 「文春砲」も写真週刊誌もないのどかな時代だった。 ▼一緒に書道展に入選し、CMでも共演した。 芸能界きってのおしどり夫婦は、こんな歌も作っている。 ♪ふと知り合って結ばれて/二人で歩いた長い道(『花の中年』)。 双方の両親を看取(みと)り、これから水入らずでと思っていた矢先に、根上さんが倒れた。 ▼闘病生活は7年に及んだ。夫の介護と歌手活動との両立にくじけそうになったとき、耳に甦(よみがえ)ったのが『ドレミの歌』だった。 米国で見たミュージカル『ザ・サウンド・オブ・ミュージック』に感動して、劇中歌に日本語の詞をつけたのは、ペギーさんである。「そうだ、私は『ファイトのファ』って歌ってたんだ」。 ▼根上さんが亡くなる半年前の春、二人は花見に出かけた。 根上さんの母校、法政大学の正面に車を止めると、近くでチアガールが足を上げて踊っていた。 「いいねえ」とつぶやいた時の笑顔が忘れられないと、小紙のインタビューで語っていた。 思い出の桜が散るのを待っていたかのようである。 83年の生涯を終え、夫の元へ旅立った。
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