- やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その104 [転載禁止]©2ch.net
820 :☆[]:2015/11/01(日) 15:54:26.90 ID:1Tt5ZiC20 - 10月18日(日)朝日新聞東京版朝刊1・31面
基地の苦悩 20年後の今も 米兵による少女暴行事件に抗議する沖縄県民総決起大会が同県宜野湾市で開かれてから、 21日で丸20年を迎える。 党派を超えて8万5千人(主催者発表)が集まった大会。 一人の高校生のスピーチが「反基地」に立ち上がった沖縄の象徴として強い印象を残した。 「基地があるゆえの苦悩から私たちを解放してほしい。沖縄を本当の意味で平和な島にしてほしいと願います」。 仲村清子さん(38)=現在は改姓=は当時、壇上に制服姿で立った。真っすぐな訴えに会場は静まり返った。 あれから20年。中村さんは1児の母になっていた。 「沖縄の基地をめぐる状況は、少しずつ良くなっていると思う。でも、大きくは変わらなかった」。 今も米軍普天間飛行場から1キロの場所に住み、オスプレイが上空を飛ぶ。 大会はうねりを起こし、日米両政府は翌年に普天間返還で合意した。 だが、その後も迷走。同県名護市辺野古への移設計画をめぐって対立が続く。 「基地問題はずっと『辺野古に移すか否か』に明け暮れた感じがする。なぜこうなってしまったのか」。 「平和な島」の実現を訴えた仲村さんは、疑問を抱き続けている。 (続く)
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821 :☆[]:2015/11/01(日) 16:05:01.80 ID:1Tt5ZiC20 - (>>820の続き)
20年前「平和な島返して」スピーチ 仲村さん 「理不尽な地位協定 苦悩の本質」 「私たちに静かな沖縄を返して下さい。軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返して下さい」 20年前の県民総決起大会で、私が高校生代表としてスピーチした言葉です。 会場の広場の隅々まで、人があふれていた。当時18歳で、宜野湾市の普天間高校の3年生。 所属していた演劇部の顧問から何人かの生徒に話があり、私があいさつを引き受けた。 事件は衝撃だった。 米兵の起こした事件に県民は怒り、 日米地位協定をたてに(起訴前に容疑者の米兵の)身柄を引き渡さない米軍の対応で、また打ちのめされた。 戦後50年を迎えて平和とか未来を考えようとしている時に、沖縄がまだ占領下にいるような理不尽さを、 ゴンと就き付けられた感じだった。 原稿には、沖縄の「普通の高校生」が日々感じている矛盾を書いた。 友人とも話して思ったのは、「基地があるゆえの苦悩」は、ほとんど地位協定から生まれているということ。 だから、その弊害をあいさつでは強く訴えた。 (続く)
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822 :☆[]:2015/11/01(日) 16:14:54.62 ID:1Tt5ZiC20 - (>>821の続き)
大会の次の年、地元の普天間飛行場の返還が決まった。 「違う、本質はそこじゃないよ」と思った。 返還は結構だけど、問題は基地の面積じゃなくて米軍のあり方。 全廃されず、県内で移すだけなら、地位協定の理不尽さは繰り返される。 その後、地位協定の運用の改善はあったが、根本的には見直されなかった。 今も宜野湾市に住んでいるが、深夜にヘリが飛ぶのを止められない。 事件を起こして基地に逃げ込む米兵もいて、残念でならない。 18歳のときは、理不尽がなくなる世界が来ると信じていたけど、現実は厳しい。 幼い頃からお芝居をしたくて、上京して劇団に入った。でも、才能がなかったかな。 沖縄に戻って結婚して、働きながら子育て中です。 大会で「自分の子どもたちに、こんな生活をさせたくない。私も一歩一歩行動する」と訴えた。 基地の問題を周りの人と話し、考える。それが「普通の人」の自分ができる一歩。 翁長雄志知事が名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消した。 20年前のように沖縄は国と対立するかもしれない。 でも、それを分かって県民は今の知事を選んだ。 二度と沖縄が戦場にならないように、新しく基地を造らせたくない人が多いんだと思う。 大会でも言ったが、沖縄の人はあきらめてはいけないし、絶対にあきらめないですよ。 (終り)
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