- 産経抄ファンクラブ第143集
884 :文責・名無しさん[]:2010/12/04(土) 06:20:47 ID:DeHdp14k0 - 2010.12.4 02:38
「おくのほそ道」の旅で北上を続けた芭蕉は旧暦5月中旬、現岩手県の平泉に至る。 「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」の名句を残すのだが、その後、踵(きびす)を返 して南下する。そして尿前(しとまえ)の関から西の羽前(山形県)に向かったのだ。 ▼この平泉でのUターンについて評論家の森本哲郎氏は『おくのほそ道行』で芭蕉の 「未練」を感じている。森本氏によれば、芭蕉の旅は師と慕う西行の足跡をたどることだ った。だから西行と同様に、そのまま陸奥(みちのく)の「外の浜」へ行き、蝦夷(え ぞ)(北海道)をながめたかったのだという。 ▼「外の浜」は、一般的には青森県の津軽半島など本州最北端の海辺を指していたらし い。そこを目指す芭蕉の意気軒高たるや大したものだ。しかし同行の弟子、曾良に「病気 持ちの体でそんな遠くまではとても無理」と押しとどめられ、断念したというのである。 ▼確かに津軽は遠かった。距離だけでなく、当時の人には「人跡未踏の地」のように映 っていたのかもしれない。現代でも青森県で生まれた太宰治でさえ津軽風土記を書くため、 初めて津軽半島を旅している。東京から見てそんなに疎遠な地だった。 ▼その津軽半島の付け根にあたる青森市まで東北新幹線が延伸された。今日、八戸−新 青森間が開業となる。東京−新青森間は最速で約3時間20分、平泉の最寄りの一ノ関か ら新青森までも2時間とかからない。往時の人には信じられないような速さだ。 ▼地元の青森では当然のことながら「津軽を身近に感じてもらえる」と大歓迎だろう。 泉下の芭蕉翁も「今の時代だったら、楽に行けていたのに」と悔しがっているかもしれな い。それとも「旅は難儀して行くもの」と澄ましていることだろうか。
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885 :文責・名無しさん[]:2010/12/04(土) 06:36:16 ID:DeHdp14k0 - >東京から見てそんなに疎遠な地だった。
唐突に「東京から見て」が出てきて、「そんなに」ってどこを受けてんの? 太宰は東京に住んでいたけれど、それと東京から見た津軽の遠さとは関係ない ような。
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893 :文責・名無しさん[]:2010/12/04(土) 17:18:11 ID:DeHdp14k0 - 俺もそう思った。せっかく古森が飛ばし記事書いてくれてんのにな。
ttp://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/1904866 ネタ元にしたwsjの記事はこちら。 ttp://online.wsj.com/article/SB10001424052748704814204575507353221141616.html 葛西の証言を勝手に付け加えちゃうあたり、古森のすばらしい超訳術の見所。 ちなみに川崎重工と中国南車は、シンガポールの鉄道建設を共同受注したりと、今でも 協力関係を結んでいる。 それにしても、一般紙でこの下品なタイトルは凄いなw 新幹線“パクり”号、中国で486・1キロを記録、日本の「本物」を抜く ttp://sankei.jp.msn.com/world/china/101203/chn1012031958003-n1.htm
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896 :893[]:2010/12/04(土) 17:49:36 ID:DeHdp14k0 - アンカー書き忘れてた。>>893は>>889へのレスね。
’パクり’に関しては、企業間の契約の問題だから、契約書を見ないとわからないな。 契約違反でなければ全く問題はない。 古今東西、技術は模倣を通じて発展してきたものだから、模倣行為そのものを非難する のは、文明を否定してるに等しい愚論。 中国紙のほうが、はるかにドライに報じてるな。 ttp://www.bigmoonlight.net/weblog/2007/03/post_11.html
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