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文責・名無しさん
やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その95

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やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その95
692 :文責・名無しさん[sage]:2010/11/20(土) 18:24:10 ID:a0qjd4A90
11月20日 朝刊社会面「ニッポン人脈記」

 語り継ぐ戦場(2) 憎しみ越えて ゆるしへ

 ブラスバンドが奏でる「北国の春」のメロディーが、快晴の空に吸い込まれていった。
 6月20日午前、中国・撫順。
 日本人戦犯約1千人が収容されていた撫順戦犯管理所の開設60周年を祝う式典が開かれた。日本から参加した
約100人の中に2人の元戦犯、高橋哲郎(89)と坂倉清(89)がいた。
 高橋が祝辞に立った。
 「すべての管理所の先生方が、個人的な恨み、憎しみを乗り越えて私たちの真人間への転変に力を尽くしていただきました。
……平和学習の殿堂として、世界の若い人々に強い影響を与え続けることを心より祈念いたします」
 戦争中、高橋は陸軍第59師団の上等兵として、山東省の済南周辺で、民衆を日本軍の協力者とするための
宣撫・懐柔工作に従事した。戦後、シベリアに5年間抑留されたあと、撫順戦犯管理所に移管された。
 別の部隊に所属した坂倉は、同じ山東省で共産党八路軍の「討伐」にあたった。
 1941年、坂倉の部隊は、丈八邸という集落を襲撃した。坂倉にとって初の実戦だった。200メートルほどの先の、
人の背丈ほどあるコーリャン畑の中を、何人かの農民が逃げていくのが見えた。
 歩兵銃を撃った。近づくと30歳前後とみられる女性が倒れていた。そのわきの下の辺りから、血を浴びた赤ん坊が
顔をのぞかせ、自分の方を見て笑っていた。足がすくんだ。たくさんの赤ん坊に足をつかまれているような気がした。
 坂倉の部隊はその後も放火や略奪を繰り返した。「軍隊で出世したい」。貧しい小作農の長男である坂倉の夢だった。
やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その95
693 :文責・名無しさん[sage]:2010/11/20(土) 18:25:06 ID:a0qjd4A90
 式典のあと、かつて戦犯たちが芝居や踊りに興じた野外舞台で、日本からの参加者が合唱などを披露した。
客席川の最前列、高橋、坂倉と並んで談笑する中国人女性がいた。
 鄭英俊(チョンインシュン)(81)。かつて戦犯管理所で会計係を務めた。元所長金源(ジンユアン)(故人)の妻でもある。
 「私たちがトウモロコシの粉のかゆなどしか食べていないのに、上からの指示で、戦犯には3食、白米が与えられました。
多くの中国人を殺した戦犯をなぜ厚遇するのか。内心、怒りをこらえるのがたいへんでした。」
 戦犯たちは十分な食事を与えられ、労役を課されることはなかった。職員は声を荒らげることもなく、温かい態度で接した。
肉親全員を日本軍に殺された職員もいたのだったが。
 戦犯たちは、管理所職員の姿勢に戦争中の自己を照らし、どれほどの非道を繰り返してきたか、深い反省に到達していく。
やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その95
694 :文責・名無しさん[sage]:2010/11/20(土) 18:26:40 ID:a0qjd4A90
 56年、戦犯の大半が釈放された。撫順で起訴された36人は最高禁固20年の判決を受けたが、64年までに
全員釈放された。
 「これからは古い友だちとして付き合っていきましょう」
 管理所を出る際、金源がかけてくれた言葉を坂倉は忘れない。戦犯たちは日本に帰ると中国帰国者連絡会
(略称・中帰連)を結成。侵略の実態を証言する活動に取り組んできた。
 この間、元戦犯は幾度か撫順を訪れ、管理所職員も日本を訪れた。そうした中で高橋、坂倉は鄭を知った。
管理所では接する機会がなかった。戦犯への憎しみと寛大な処遇方針の間で悩み、転勤願を出す職員が
相次いだこともあとでわかった。鄭の長男は日本へ留学した。
 中帰連は高齢化のため2002年に解散した。しかし、その志を継ぐべく、若い世代によってすぐに
「撫順の奇跡を受け継ぐ会」がつくられ、証言活動などを続けてきた。同会が編集する「季刊 中帰連」の裏表紙には
次の言葉が書かれている。
 「前事不忘 後事之師」
 前の経験を忘れず、後の教訓とする、という意味だ。
 つぐないとは何か。ゆるしとは何か。敵意と憎悪はいかにして和解へと導かれるのか。
 撫順戦犯管理所の体験は、対立と暴力の絶えない人間社会に多くの示唆を与える。
 「次代に伝えるため『撫順』を教科書で取り上げてほしい」
 受け継ぐ会の会員の一人、荒川美智代(36)の願いだ。(上丸洋一)
やっちゃった!今日の朝日のドキュン記事 その95
695 :文責・名無しさん[sage]:2010/11/20(土) 18:33:34 ID:a0qjd4A90
何と言うか、田口トモロヲに読ませてるようなプロジェクトX的な語り方が鼻につく文章。


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