- 産経抄ファンクラブ第143集
209 :文責・名無しさん[sage]:2010/11/17(水) 06:24:12 ID:v+jPoRuV0 - 産経抄 11月17日
きのう裁判員裁判で初めて死刑判決が下ったが、事件の残虐性は小欄で書くのもは ばかられるほどだ。判決は当然の結論とはいえ、神ならぬ身の裁判員のみなさんは さぞ苦しかっただろうが、裁判長が主文を言い渡した後で、被告に控訴を勧めるとは 何事か。 ▼そんな自信のない裁判官はプロ失格だが、きょうは本物のプロを悼みたい。東京五 輪に日本中が沸いた昭和39年、「涙を抱いた渡り鳥」でデビューした水前寺清子さん の愛称・チータは、作詞家の星野哲郎さんが、水前寺さんの本名・林田民子にちなん でつけた。 ▼父親が商売に失敗した林田一家は故郷・熊本から夜逃げ同然で上京し、末っ子に 歌手デビューの夢を託す。だが、なかなか芽が出ず、暗い顔をしていた彼女に「もしデ ビューできても今のチビの民子の気持ちを忘れずにやるんだぞ」と励まし、「小さい民 子だから略してチータ」と呼んだのが、星野さんだ(「夕刊フジ」6月10日付)。 ▼星野さんも挫折の人だった。船乗りになろうと高等商船学校を卒業したが、腎臓結 核を患い、4年にわたる療養生活を送った。その経験が味わい深い歌詞を紡ぎ出し、 懸命に努力する若者たちを応援し続けた。 ▼今や大御所となった北島三郎さんも都はるみさんも最初のヒット曲は、星野さんの 手になるものだった。「三百六十五歩のマーチ」も苦労を重ねて花開いたチータと無名 の若者たちへの応援歌だった。 ▼星野さんに続いてヒットメーカーとなった阿久悠さんも鬼籍に入り、歌謡曲冬の時代 といわれて久しい。時代が変わったといえば、それまでだが、若いだけがとりえの素人 芸はもういい。おじさんは、本物のプロによる本物の歌がいま聞きたい。
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