- たかじんのそこまで言って委員会237
283 :在長崎領事の馮冕より感謝状[]:2010/09/24(金) 13:45:21 ID:i1VY+BWA0 - >>189
109 名無しさん@十一周年 [] 2010/09/24(金) 00:27:27 ID:QxGFCjte0 Be: http://www.youtube.com/watch?v=MyDcYGuJuIg#t=11m58s ttp://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid885.html 「諸君!」2006年2月号 掲載 永久保存版 歴史講座 【もし中国にああ言われたら??こう言い返せ】 「尖閣、そして沖縄までは中国の領土」と言われたら フォトジャーナリスト・山本皓一 ―略― 尖閣諸島開拓の父ともいえる古賀辰四郎は、シベリア出兵が開始された1918年に62歳の生涯を終えた。 以後、太平洋戦争で沖縄近海の制海権が奪われ、油や食料の輸送が困難となって島を引き払う 終戦の直前頃まで、嫡男の古賀善次が事業を引き継いで発展させた。 父の後を襲って善次が「島主」になった翌年の1919年(大正8年)、ひとつの事件が起こった。 中国・福建省から船出した中国の漁船・金合丸が暴風雨に遭遇し、魚釣島に漂着座礁したのである。 この船には福州(今の福建省)の船主兼船長・郭合順以下31名が乗り組んでいたが、尖閣周辺の 波浪は嵐の余韻で渦を巻き、激しい潮流に翻弄され、座礁したまま身動きがとれなくなって、 魚釣島の島民に助けを求めた。 善次の陣頭指揮のもと、金合丸の乗組員全員は無事救出された。手厚い保護を受けた遭難漁民たちは、やがて石垣島に送られ、半月余の後に台湾経由で故郷の福建省に無事帰還することができたのである。 その後、魚釣島における善意の海難救出に尽力した古賀善次ら島民7名に対し、中国(中華民国) 在長崎領事の馮冕より感謝状が届いた。その感謝状には、海難発生場所として 「日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島」と記されているのだ。 これを一読すれば、中国政府が尖閣諸島を「日本の領土」だと認めていることは明らかである。 感謝状は表記の玉代勢氏のほか、石垣村長(当時)の豊川善佐氏、古賀善次氏、そして通訳を務めた 松葉ロブナストさんら計7人に贈られた。ここに取り上げたのは、私蔵されていた感謝状を玉代勢氏が 1996年1月に石垣市に寄贈したもので、現存するのはこれ1枚だけである。 http://www.youtube.com/watch?v=MyDcYGuJuIg#t=11m58s
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