- なぜ大人にはラノベを悪くいう人が多いのか
100 :オッサン[]:2011/11/25(金) 02:24:00.18 ID:LTKlLHKf - 「ハルヒ」や「化物語」や「空の境界」は別格として、一般的なラノベとして「灼眼のシャナ」を取り上げてみます。
「シャナ」は「零時迷子」によって「永遠を約束されたトーチ」である「坂井悠二」と、 「フレイムヘイズ」という「人間を捨て永遠を生きる」シャナの物語です。 「トーチ」も「シャナ」も共に存在の基盤が希薄で、強者と思えるシャナとて「炎髪灼眼のうち手」とか、 手にした刀の名を取って「贄殿遮那(にえとののしゃな)」と呼ばれる「名もなき存在」です。 「シャナ」はこの二人の「実存回復」の物語として、非常に魅力的です。 西洋の魔法使いは「名」を知られる事によって滅ぶというストーリはある種のステロタイプですが、 魔法の様な理解出来ない力は「命名」によって「認識」され、対処可能は存在に変換されます。 「炎髪灼眼のうち手」は坂井悠二が彼女を「シャナ」と呼ぶ事を拒絶しますが、 それは「命名」による「関係性」の発生を拒んだからです。簡単に言ってしまえばと「友達関係」を拒んでいるのです。 一方「坂井悠二」は「トーチ」として消えゆく存在ですかが、最後の一瞬まで自分の存在意義を問い続けます。 その彼の姿勢が、「シャナ」に名前を受け入れさせ、「シャナ」の人間性の回帰が始まります。 これは現代の子供達の関係性を象徴している様で興味深い設定です。 存在の喪失を恐れるトーチは、まさしく集団の中で「目立たない」子供の姿であり、 集団の中で「キャラ」を演じる子供達は、「真名=地」で他人と係わる事を嫌います。 「灼眼のシャナ」が子供達の支持を集める理由に、ライトノベルを愛読する様な、ちょっと内気な子供達が、 潜在的には、友人との強い繋がりを渇望しており、友情を通じて自己の存在を確認したいという欲求が存在しているのではないでしょうか?
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- なぜ大人にはラノベを悪くいう人が多いのか
101 :オッサン[]:2011/11/25(金) 02:30:21.14 ID:LTKlLHKf - (続き)
大人の小説や、歴史的名作が子供達の共感を呼ばないのは、そこに同時代性が存在しないからです。 ヘッセの「車輪の下」に感動しろと言っても、今の子供達とは置かれた状況が違い過ぎます。 山本有三の「路傍の石」が人気を博したのは、当時、似たような境遇の子供達が沢山居たからです。 当時の子供の悩みは「貧しい境遇との戦い」であり、その境遇を打破出来ない己の弱さでした。 ところが現代の子供には「生活」の苦しみはありません。 子供達の悩みは「受験」と「人間関係」です。 かつては「社会の規範」が子供を縛っていましたが、現代は「親の期待」が子供を縛っています。 「親の期待」に応える努力を小さな頃から強いられる子供達は、「親がどう思うか」が行動規範になります。 要は「他人の視点」で自分を規定する事を習慣化されています。 当然友人関係も、「友人にどう見られるか」が重要となり、 失敗を恐れるあまり「キャラ」というアバターを用いてコミニュケーションを行います。 この様な時代だからこそ「悠二とシャナ」のお互いを認め思いやるストーリーが支持を受けるのです。 人気を集めるライトノベルの根幹には、同様の構造が見てとれます。 ライトノベルとは「リア充」を求めて得られない、内気な子供達のユートピアなのでしょう。 これを「くだらない」と一蹴する事は簡単ですが、これこそが「小説が存在する理由」である事は、今も昔も変わりません。 昔の小説は人間に「暗部」にフューチャーして「カタロシス」を得るという倒錯的喜びを読者に与えましたが、 ラノベの「痛さ」は、正統なカタロシスの継承とも言えます。
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- なぜ大人にはラノベを悪くいう人が多いのか
110 :オッサン[]:2011/11/25(金) 09:25:40.01 ID:LTKlLHKf - 「ラノベは下らない」と言う人達が忘れているのは、
本を読む事すらしない、多くの大人と、多くの子供の存在です。 子供に読書の楽しみを教えるのに、私はラノベを利用しました。 クリスマスのプレゼントのラノベの中に、乙一や三崎亜紀を混ぜておくと、あら不思議。 子供は抵抗無くというか、これらの作品に強い興味を示します。 中3になる娘は、乙一の「失われた物語」は5回は読んでいますし、 三崎亜紀の「失われた街」も3回も読んでいます。 恩田陸も「ネバーランド」は何回読んだ事やら・・・。 有川浩の「塩の街」は大好きで、 桜庭一樹は「赤朽葉家」以前の作品はほぼ全てお気に入りです。 これらの若手の書き手には、やはり何か共通する同時代性があるのでしょう。 それでは近代の名作はどうかと、「文学少女」が第二巻で取り上げている「嵐が丘」を与えて見たら、1ページも読めませんでした。 小川洋子は「博士の愛した数式」はOK、「象を抱いて猫と泳ぐ」はNG 私が近年の日本の小説で一番素晴らしいと感じた瀬川 深の「ミサキラヂオ」は100ページで挫折。 レイチェルカーソンの「沈黙の春」も100ページで挫折。(「我らを廻る海」の方が優れていますが、手元に無いので・・) 個人の好みの問題もあるのでしょうが、中学生と言えども、面白いと感じれば 「ガープの世界」や「熊を放つ」くらいは読みそうです・・・。 私自身、高校時代までは名作と呼ばれる物を必死で読みましたが、 実は読書が面白いと感じるのは、現代小説を読み始めてからです。 ですから、たとえライトノベルであっても、「本を読まないよりは数千倍もマシ」だと思っています。 後は周囲の大人が、上手に読書の世界を広げてあげれば良いのではないでしょうか?
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112 :イラストに騙された名無しさん[]:2011/11/25(金) 10:23:35.80 ID:LTKlLHKf - >>111
私は「空の中」は好きなのですが・・「完全なる全っき・・」てSF的で面白いですよえね。 ところが、娘はSFがどうも苦手な様ですす。 一方、「塩の街」が読めるならば、もしやと思い、J・G・バラードの「結晶世界」を読ませてみたら、 「これは面白い」と言っていました。
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- なぜ大人にはラノベを悪くいう人が多いのか
116 :オッサン[]:2011/11/25(金) 13:31:51.86 ID:LTKlLHKf - 私は夏休みの読書感想文の本すら決まらずに8月31日を迎えた中2の息子に、
新谷かおるのマンガ「エリア88」を全巻読破させ、感想文を書かせました。 どうせ女の先生は「エリア88」が漫画だなんて知らないしね。 中東を廻る世界情勢を新聞で理解する事は、中学生には無理ですが、 「エリア88」ではで中東の戦乱の背景と、武器ビジネスが無関係で無い事は理解出来ます。 そして、飛交う銃弾の下に「市井の人の生活」がある事も理解出来ます。 学校でつまらない歴史の授業を聞くよりも、安彦良和の「ナムジ」や「神武」や「王道の狗」 あるいは「虹色のトロツキー」を読んだ方が、歴史は生き生きとした姿を露わにします。 新聞が優位、古典小説が上位というのは、偏った物の見方で、その時々の理解力に応じて、 読む物を変化させて行けば良いのだと思います。 むしろ「メディアリテラシー」を持たない大人達が、新聞やニュースに簡単に洗脳される事は悲しい事実です。
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- なぜ大人にはラノベを悪くいう人が多いのか
119 :イラストに騙された名無しさん[]:2011/11/25(金) 14:39:03.53 ID:LTKlLHKf - >>118さん
全くその通り。 面白い事が一番。・・・エ!!違いましたっけ。 「虹色のトロッキー」、面白いですよ。 学校では戦前の大陸史は、事件の名前くらいしか教えてくれませんから、 関東軍がどういう思惑で満州に進出したかとか、 当時の日本にとっての最大の脅威が、ソビエトの共産主義思想であった事や、 満州国が意外と高い理想の元に建国された事など、現在の私達が知らない事も多いです。 これを、歴史書で読もうと思っても、なかなか出来ませんが、 漫画というスタイルだと、簡単に読む事が出来ます。 「全く知らない」事と、「触りだけでも知っている」事の差は絶大です。 但し、興味を持ったら、自分なりに検証も必要ですが。 フィクションと呼ぶなら、司馬 遼太郎の諸作もそれに含まれる訳で、 大家の小説と、歴史漫画の間に線引きは不要でしょう。(多少、漫画はエンタテーメントに偏りますが)
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- なぜ大人にはラノベを悪くいう人が多いのか
121 :オッサン[]:2011/11/25(金) 15:12:36.22 ID:LTKlLHKf - >>120
まさにその通り!! 調べると、自分なりの歴史観も生まれてきて、 それまで教科書の文字の並びでしかなかった過去の世界が一変します。 ところで、おっさん達ばかり盛り上がってますが、 この楽しいスレッドを立ててくれたスレ主さんをご覧になってますか? 頑張って色々な本を読んで下さい。 受験も頑張れ。
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