- 結局「運」だろ?PART4
234 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2011/07/28(木) 07:21:40.59 ID:xGWy1Gb50 - 「世間はよく成功者を手放しで尊敬してしまうが、成功者の言ならなんでもかんでも金科玉条のようにあがめるのはおかしい。」
「努力したからうまくいった、と言う人がいるのは構わない。でも自分は違う。努力したから成功するとは限らないと思っている。 苦労だって経営者ならしていない人などいないから、自分が特に苦労したとは思わない。振り返ると何となくこうなっていた。運が良かっただけだ。」 「運です。運が良かったんです。それを「この結果は俺の経営がうまかったんだ」とか「俺に力があったんだ」なんて思うと、もう駄目ですね。」 「ヒットのノウハウなんて、わかれば苦労しない。たとえあったとしても、それは絶対、活字なんかになり得ないことなんだ。 そんなもん、どうやったら金が儲かるか、どうして趙治勲(ちょう・ちくん、韓国生まれのプロ囲碁棋士)が強いのかという質問と同じなんだ。答えなんてないで。」 「世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね。」 「わたしは、人間には持って生まれた運・不運があるということだけは固く信じる。 やはり運がいいとか、悪いということは絶対あり得ると思うし、ツイている、ツイていないということもあると確信している。 しかし、じゃあ、どこでどういうふうにツイていると判断するのか、なにかその物差しがあるのか、あるいは運のいい人と悪い人を見分ける方法があるのか ということになると、そんなものはあるわけがないとしか言いようがない。 人生は要するに向き不向きと、人知の及ばざる運・不運で決まるのではないか。そういう意味で運を信じているということなんです」 「運を認めないといけない。運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。 ところが、人間 ですからついつい運の存在を無視して「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。」 −任天堂3代目社長 山内溥−
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