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日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬

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日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
12 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:07:19.03 ID:QNOl0Nx10
■尖閣は日本領。日本国民が正しい知識・確固たる信念持つことが大切!

中国発行の社会科地図で、地下資源が確認される以前の1970年の南西諸島の部には、はっきりと"尖閣諸島"と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてある。
しかし、地下資源が確認された以後の1971年の南西諸島の部では、尖閣諸島は"釣魚台"と記載され、国境線も日本側に曲げられている。

1968年の海底調査の結果、東シナ海の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘されて以降、中国、台湾政府とも領有権を主張し問題化した。
1971年2月にアメリカ在住の中国人留学生による「尖閣諸島は中国領だ」と主張する反日デモが発生し、6月に台湾、12月に中国が領有権を主張した。

ただし、1970年以前に用いていた地図や公文書などによれば両国とも日本領であると認識していたようで、米国の施政時代にも米国統治へ抗議したことはないため、
日本国内では中国と台湾が尖閣諸島の領有権を主張し始めた動機として 海底油田の可能性が高い と唱えられている。

日本外務省:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/
ウィキペディア:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C


日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
15 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:11:12.08 ID:QNOl0Nx10
尖閣列島関連の法的論述は:
1.最初に発見と有効占領:Occupation 条件
日本人の古賀辰四郎が1884年に尖閣を発見、カツオ節工場と羽毛と鳥糞肥料の経営を行った。また、尖閣付近は長年沖縄漁民の猟場でも有ると確認した。是は日本人が尖閣列島を発見、島に上陸、占領と使用、で国際法の「有効占領Occupation」の条件を満たし、
尖閣への管轄権即日本の領土と確認した事になる。
2.国際法その2: 日本の第二次「有効占領Occupation」の事実:
国際法は無主の土地を発見の主体を国若しくは国から権利を授かった者に限ると規定している。古賀氏が日本の政府に尖閣の租借を申請した時、日本政府は{尖閣は日本の領土に非ず}として、申請を却下した。
1941年日本が台湾を領有している時代であるが、台北州政府と沖縄郡政府の間に、漁場の所属問題で法律訴訟問題があり、1944年に日本の東京裁判所で、尖閣を台湾の台北の管轄と判定した。
沖縄は江戸時代から薩摩藩の植民地の実態であるが、清朝と日本の戦争、即日清戦争で1895年下関条約で、台湾が日本領土と成った際に、尖閣の占領があり、翌年の1896年に古賀氏の申請を許可した、またその次の年、即、1897年に日本領土に編入した。
3.国際法その3:第3次「有効占領」米国の認可を取る。
尖閣の主権で日本の主な理由の一つは「サンフランシスコ平和条約、1951.9.8調印、1952.4.28発効」で琉球「沖縄」は日本から分離された。奄美島関係の規定にはシスコ条約と日米協定が有り、
米国行政官署の布告第27条の「琉球の地理環境」第一条の規定に、
尖閣は琉球列島の地理範囲内であると明記されている。此れに基ずき、尖閣は沖縄と共に1972年の住民投票(シナ人と台湾人の言う公投)で日本に「帰還」した事に成る。

日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
17 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:11:52.73 ID:QNOl0Nx10
「法理的推理:中国の企図」
若しも、船籍が中国籍の場合、日本海域への侵入は日本への宣戦に等しい、此れは厳重な問題を引き起こす。国際法廷へ提出された場合は、全ての責任を負はねばならない。中国はその厳重性をよく理解した上での、
台湾の船籍船で犠牲フライをしたまでの事、尖閣島近辺の領海権を持たない中華民国が一戦をも惜しまずは、中国への叩頭媚と台湾人への統治者としての誇示で有るが、福田首相の弱腰は、「助紂為虐」の効果で、外来政権の中華民国をして、
益々増長させるのみである。台湾人には迷惑千番と言える。

日本外務省は中華民国が台湾主権を持たない亡命政権と確認して、台湾人の国造りに最大の協力をすべきである。中華民国が台湾から消えてしまえば、尖閣列島問題は、中国の手の届かない場所に位置付く。チヤイナ・スクール自身、日本の為にも、目覚めるべきである。
日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
19 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:17:01.64 ID:QNOl0Nx10
偉大なるシナ(China)国民諸君。 日本は、民主主義の国だ。
政府が干渉しない、自由選挙ができる国だ。
階級や、財産や、思想で差別されない、普通選挙を続けている国だ。
日本は、自由主義の国だ。 共産党に国民の主権を簒奪された国とは違う。
国軍ならぬ共産党の軍隊に集会を戦車で踏みつぶされ、
青年達を殺されても、全てが無かったことにされるような国とは違うのだ。
偉大なるシナ(China)国民諸君。 日本の内閣総理大臣は、選挙によって選ばれた議員の中から、議会の多数決で任命される。
国民の支持なしに、日本の内閣は、日本の指導者は存在し得ない。 偉大なるシナ(China)国民諸君。
シナ(China)には、「日本の国会にあたる全人代」が存在するという。
良し、では、問おう。
シナ(China)には、自由選挙が存在するのか? 普通選挙が行われているのか?
思想の自由は、言論の自由は、集会の自由は、結社の自由は、出版の自由は、
シナ(China)に、存在するのか?
否、信仰の自由とともに、これら全ての自由はシナの国民から奪い去られている。
偉大なるシナ(China)国民諸君。君たちは、指導者を選ぶ自由を持っているか?
君たちは、指導者を倒す権利を持っているか? かって多くの偉大なる先達たちが行ってきた、圧政の府を倒す権利を失ってはいないか?
偉大なるシナ(China)国民諸君。 目覚めよ。そして知れ。 真の軍国主義者は誰か? 自らの利益のために国民に銃を向ける者は誰か? 立ち上がれ。そして旗を立てよ。
国民の自由と、権利と、軍隊を、共産党から奪い返すのだ


日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
20 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:17:51.81 ID:QNOl0Nx10
「尖閣諸島は日本の領土」、李登輝元総統が改めて言及―台湾
2012年4月19日、環球時報によると、台湾の李登輝(り・とうき)元総統が「これまで何度も話しているが、
尖閣諸島は日本の領土だ」と改めて言及し、日本の石原慎太郎都知事が尖閣諸島を東京都が購入する意向を
示したことについて、「国の政治が良くないせいだ。台湾と同じだ」と語った。

また、2010年9月に起きた尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船と中国の漁船が衝突した事件について、
日本政府が漁船の船長を釈放したことを「きわめて遺憾だ」と語った。

中国政府が尖閣諸島の領有を主張していることについて、李元総統は「中華帝国覇権主義的な
領土観にもとづいた主張であって、かつて朝貢していた国を自分たちの領土の外周だと考えている」
と評し、根拠として挙げている古文書も清の時代に光緒帝が皇太后の病気を治すために民が
尖閣諸島の近海で採った薬草を使い、後に島をその民に与えたというだけで、「国際法上、
何の根拠にもならない」と指摘している。

李元総統は以前、日本のメディアに「尖閣諸島は日本の領土であり、道理に合わないことを
主張する中国に譲歩する必要はない」と語ったり、中国の主張を「美人を見て自分の妻だと
言っているかのようだ」と話して波紋を呼んでいた。

http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20120420011/1.htm


日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
23 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:28:03.59 ID:QNOl0Nx10
1947年 人民解放軍 南京へ侵攻 ”南京大殺戮”起こる。国民党台湾へ退避
1949年 中華人民共和国成立、同年中国はウイグルを侵略
1950年 中国”義勇軍”48万が朝鮮戦争に参戦し国連軍を攻撃 (正規軍である。停戦まで北朝鮮と合わせて100万の損害を被った)
1951年 中国がチベットに侵略し現地民数百万人を虐殺
1958年 大躍進政策始まる。2年間で2000万人が餓死または失脚死 
1959年 中国がインドと国境紛争、カシミール地方を占領
1960年 文化大革命始まる・中国国内外で以降粛清・民族浄化及び餓死で6500万人以上が死亡
1964年 東京オリンピック開催中の10月中国はウイグルで初の原爆実験を行う
1969年 珍宝島で中国軍がソビエト軍と衝突 事実上国交断絶
1972年 日中国交樹立  (新しいパトロン
1978年 米中国交樹立  (新しいパトロン
1979年 中越戦争 ベトナムを武力侵略。懲罰戦争と表明
1989年 天安門にて発生した学生による民主化運動を軍隊で強行鎮圧し死者300人以上
米国との武器共同開発停止。武器禁輸制裁発動
1992年 資源埋蔵に目が眩み、南沙諸島と西沙諸島の領有を宣言
1995年 フィリピンの領有してきたミスチーフ環礁を占領
1996年 台湾海峡でミサイル発射し台湾を恫喝
1997年 フィリピンが歴史的に領有してきたスカーボロ環礁に領有権を主張
  同年 日本が固有の領土として主張してきた尖閣諸島の領有を主張
2000年 中国の軍艦が日本列島を一周。中国が尖閣諸島付近で日本の領海内の海底油田調査を敢行
2004年 沖ノ鳥島は岩であり日本の領海とは認めないと主張
  同年 中国の原子力潜水艦が石垣島の日本の領海を侵犯
2005年 反分裂国家法を制定し台湾に対して武力行使を明言
  同年 日本の資源盗掘を開始
  同年 低民度集団の暴動により、在中日本大使館が破壊
  同年 台湾問題に介入するなら核攻撃を行うとアメリカを恫喝
  同年 アメリカが中国の巨大軍事国家化を指摘
  同年 沖縄の日本帰属に疑問を示し沖縄は歴史的に中国のものと主張
 同年国内暴動発生8万6千(平均15人)失業農民4000万人、腐敗官僚処刑5000国外逃走3万


日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
24 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:31:49.58 ID:QNOl0Nx10
毛沢東は、訪中した日本の政治家が過去の侵略について謝罪
すると、「いや、日本軍閥にむしろ感謝したいくらいですよ」、
彼らが中国を広く占領していなかったら、「われわれは現在も
まだ山の中にいたでしょう」と述べた。[1,p346]

 中国共産党(中共)軍は1936年(昭和11)10月に、国民政
府軍に追われて1万キロ以上も敗走し、ようやく中国西北部・
黄土高原の延安に逃げ込んだ。「長征」と美化するが、実態は
大敗走である。「山の中」とは、この延安の事だろう。日本軍
が侵入して来なかったら、中共軍は圧倒的な国民政府軍の攻勢に、
延安に閉じこもる山賊程度の存在に過ぎなかったろう。

 もっとも毛沢東のこの言葉には、日本への素直な感謝という
より、「してやったり」という自慢が多分に含まれていると感
ずる。日本を日中戦争に引きずりこみ、蒋介石の国民政府軍と
戦わせて「漁夫の利」を得る、というシナリオを書いたのはソ
連のスターリンだったが、それを主役として演じたのが毛沢東
であった。この実績と、党内の競争相手を冷酷な手段で次々に
蹴落としていったことで、毛沢東は中国共産党主席の地位を獲
得したのである。最近のベストセラー『マオ』には、その過程
が活写されている。[1]


日中首脳会談 尖閣諸島巡り応酬
26 :Ψ[]:2012/05/13(日) 23:39:22.42 ID:QNOl0Nx10
1953年(昭和28年)1月8日:中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』が、
「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題した記事を掲載。
尖閣諸島を日本名で「尖閣諸島」と表記し、琉球群島(沖縄)を構成する一部だと紹介する。
1958年(昭和33年)11月:北京の地図出版社、『世界地図集』発行。
尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。
1965年(昭和40年)10月:中華民国国防研究院、『世界地図集第1冊東亜諸国』初版出版。
尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。
1970年(昭和45年)1月:中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版)
において尖閣諸島は日本領として扱われ、「尖閣群島」という日本名で表記されている。
***1969年および70年に行なわれた国連による海洋調査で、推定1095億バレルという、
イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告***
1971年12月30日:中華人民共和国が外交部声明という形で尖閣諸島の領有権を主張。
中国は1971年まで領有権を主張したことがない
中国も韓国も理解していないようだが
国連海洋法条約は「歴史」を主権の根拠と認めていない
国際法で一般に認められていない理屈を持ち出している




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