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840 :地震雷火事名無し(神奈川県)[]:2019/10/06(日) 13:35:32.63 ID:YhQKRLPS - 京の味は信長の口には合わなかった?
http://sengokurekishi.com/category3/entry41.html http://sengokurekishi.com/img/040.jpg 今日は織田信長の味覚のお話です。 天正元年(1573)、織田信長は足利義昭を京から追放し、室町幕府を滅亡に追い込みました。 その時、義昭と組んでいた三好氏を蹴散らし、三好義継を自害させました。 さて、この時、坪内某という三好家に仕える料理人を捕らえましたが、この人は有名な料理人だったそうです。 そこで信長の家臣が 『坪内は名料理人なので、上様の料理人として召抱えてはいかがでしょう?』 と、進言しました。 信長は評判はともかく、そやつの料理を試食してから決めると返事をしました。 翌日。 信長は坪内の腕によりをかけた料理を食べ始めました。 終始無言な信長。 しかしその表情は、みるみる強張り、遂には『まずい!水っぽくてとても食えん。この料理を作った坪内を殺せ!』 殺してしまえホトトギス…状態です。 坪内は平伏し、 『今一度、機会をお与え下さい。もし次ぎにお気に召さなければ、仰せのままにいたしますので…』 では今一度機会を与えようと、信長は翌日にまた料理を作らせました。 すると今度は、なんとも美味い! 信長から『さすが京一の料理の腕前じゃ』と褒められ、禄まで与えられました。 しかし坪内は、後にこの事を知人にこう打ち明けました。 『じつは最初の料理は、三好家好みの京風の薄味の料理。しかし信長様が気に入られませんでしたので、次の日は田舎風の濃い味付けにしたら、美味い!と喜ばれました』 つまり、坪内は信長を【田舎の味覚】と言いたかったのではなかったのでしょうか? 確かに信長が育った尾張は、コッテリした味噌味が主流。京風の薄味は口に合わなかったのでしょうね。 このエピソードは江戸時代に書かれた『常山紀談』に載っている話ですが、やはり納得してしまいそうなお話です。
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