- 【原発】原発情報3979【放射能】
510 :地震雷火事名無し(北海道)[sage]:2017/03/21(火) 21:07:34.47 ID:K4x4KDSQ - 時評 社会 吉見俊哉
東北で何が起き 何が生じたか 「災後」の未来 欠かせぬ記憶 あれから6年が過ぎた。 七回忌である。 6年の歳月は、大切な人を失った者にとって癒しの時間となることもあろうが、それが不可能な場合もある。 東日本大震災、特に福島第1原発事故で被災した人々の場合、その傷は癒えるにはあまりに深い。 この傷痕を癒し難くしている最大の理由は、「復興」のかけ声が繰り返され、国の予算も投下されてきたにもかかわらず、 被災地の未来が一向に見えてこないことにある。 展望なき固執 たとえば復興予算で東北に災害公営住宅3万戸が建設されつつあるが、入居は高齢者が多数を占め、いずれ空き家が続出する。 これまで復興を支えてきた国の支援も終わり、施設維持費が自治体に重くのしかかるだろう。 震災後、東北からの若者流出の流れは加速しており、地域はこの負担に耐えられないかもしれない。 東電に関しては、事故で生じた総費用の試算は21兆5千億円と従来の想定から倍増し、すでに国は廃炉や賠償、除染や中間貯蔵施設のために国費投入を決めている。 しかも廃炉作業は難航しているから、現在の試算をさらに上回る可能性が高い。 他方、国と東電の責任を問う多くの裁判も進行中で、原発避難者や風評被害への賠償まで含め、東電が支払う賠償総額は莫大なものとなる。 国の管理は長期化し、いずれ東電は事実上の解体に向かうだろう。 私たちが気づきつつあるのは、震災と原発事故が戦後日本に致命的な出来事だったことだ。 これを境に、いかなる「戦後」も終わったのだ。 だが、戦後終焉の先にどんな未来があるのかを私たちは知らない。 先が見えないから、今も戦後的価値にしがみつき続けている。 この展望なき固執が、私たちが「あの日」から前に踏み出すのを困難にしている。 戦後日本を「理想」「夢」「虚構」「バーチャル」と15年ごとに分けた見田宗介に従うなら、 リーマン・ショックと震災を経験したこの15年は「悪夢の時代」となるかもしれない。 先が見えないまま突っ走り続けているが、泥舟はいずれ沈む。 本来、これほど深刻な状況で、政治が果たすべき責任は経済復興だけではない。 起きたことの重大さからすれば、原発も防災も経済も既存政策の継続ではいずれまた破綻する。 失敗の原因を徹底究明し、「戦後」とは根本的に異なる「災後」の未来を指し示すことが不可欠なはずだ。 それが、できていないから6年を経ても人々は癒されないのである。 今、蔓延しているのは単なる忘却でしかない。 忘却の先に未来はない。 情報共有こそ 忘却を脱して覚醒に至るには何が必要か。 それにはまず、震災前から今に至るまで東北各地で何がどう生じてきたかの記録を徹底公開し、それを広く共有し、未来に活用する統合的体制を築くことだ。 震災七回忌に際し、新聞には多くの逸話的記事が並んだが、各地で何がどう生じてきたかを精密に俯瞰したメディアはなかった。 地域の多様性は否定しないが、徹底した情報共有と全体把握があって初めての多様性である。 私はかつて本欄で、歴史とは構造的なもので必ず繰り返されるから、大震災も原発事故も、類似の出来事がいずれ忘れたころにまた起きる、 その時のため「記憶が未来へのかけがえのない資産となり得る」と書いた。 この未来への資産形成を難しくしているのは、分野間、組織間、地域間等々のタテの壁である。 各人が自分の部署に瑕疵が生じないようにすることに精いっぱいで、誰もビジョンをもって組織全体の未来を見渡せない。 結果的に、身動きができないまま既存の体制が残り、大きな変化の中で最悪の選択をしてしまう。 情報の水平的共有や全体的ビジョンの欠落は、昨今の東芝没落や豊洲新市場問題にも顕著である。 震災を経ても日本は驚くほど変わらず、このままでは危機は再来するだろう。 本来、そうした全体把握と未来への警告の役割を果たすべきメディアが機能不全に陥っている今日、 震災の記憶を呼び戻し続けることは、自己への警告として価値を失わない。
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