- 【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン97【御同行】
798 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 00:35:15.33 ID:plYq72XY0 - 言葉は文脈によって意味が異なり、辞書はそれらの用例を集めたもので、
あくまでもケースバイケースで意味を読み取る必要があると、中学校の 英語の授業で教わったのは随分と昔のこと。 例えば龍樹菩薩、天親菩薩といった場合と、観音菩薩、勢至菩薩とでは、その意味 することが違うことは仏教初学者でもわかることじゃないかな。 曇鸞の著作にある「菩薩」にもいろいろな意味があるというのが下の論文でわかる。 『往生論註』における菩薩観 溪 英俊(著) 龍谷大学大学院文学研究科紀要 33, 1-15, 2011 https://ci.nii.ac.jp/naid/110009226193
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800 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 02:08:00.17 ID:plYq72XY0 - ・「正定聚」という言葉は漢訳では『長阿含経』第八巻、衆縁経第五の文と
それに類する単独経典である『大集法門経』にルーツがあり、その意味は 「正しくさとりを得ることに定まった類聚」となる。 ・親鸞は『顕浄土真実行文類』において、真実の行信をを獲れば歓喜地に 至るとしているが、この「歓喜地」は厳密な菩薩の四十一階位を示すのでは なく、真実の行信を獲たものの境地を表現したものである。 ・親鸞は正定聚の機を浄土に往生にしたものだけではなく、これから浄土に 往生するものという意味が含まれていることを示した。 参考 親鸞教学における現生正定聚の意義 : 北米開教区における布教活動経験にもとづいて 藤原ワンドラ 睦(著) 龍谷大学大学院文学研究科紀要 34, 61-80, 2012 https://ci.nii.ac.jp/naid/110009573456
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801 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 02:19:19.43 ID:plYq72XY0 - 宗学者による侃々諤々の議論よりも、実際の布教の現場の方が興味がある。
「現生正定聚」を信仰してはいないが、「自信教人信」という点でも楽しく読めた。
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807 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 09:46:45.78 ID:plYq72XY0 - 正定聚=阿?跋致(=不退転)の受け止め方にもいろいろある。たとえば曇鸞『論註』
には、以下のようにあるが、「仏願力による」という特質が有るから。 願(第十一願)にのたまはく、「たとひわれ仏を得んに、国のうちの人天、正定聚に住して かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ」と。仏願力によるがゆゑに正定聚に住す。 正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至りて、もろもろの回伏の難なし。 曇鸞『論註』 また『無量寿経』第十一願などに説かれる正定聚には以下のような解釈の違いがある。 ・位不退(到達した修行階位から退転しないこと) ・処不退(極楽浄土という世界から退転しないこと) 親鸞は正定聚の機を阿弥陀仏の本願に乗じて浄土に往生にしたものだけではなく、 これから浄土に往生するものという意味が含まれていると会通したが、そうは取らない 考え方もある。 様々な受け止め方があって、その中でも自分はこの道を進むくらいで良いのでは。 参考 新纂浄土宗大辞典 − 正定聚 http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%AD%A3%E5%AE%9A%E8%81%9A
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808 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 10:36:57.70 ID:plYq72XY0 - 曇鸞『論註』における正定聚とは、阿弥陀仏の本願の力によって極楽浄土に往生し、
そこから退転することなく滅度に至ること、つまり処不退の意味。 親鸞は曇鸞の説く「正定聚」を踏まえた上で、「これから浄土に往生するもの」を 「現生正定聚」とした。 不退転の意味も様々で、迦才『浄土論』には以下の四不退があげらている。 ・念不退 : 八地以上にいる菩薩がそこから退かないこと ・行不退 : 初地以上にいる菩薩がそこから退かないこと ・念不退 : 十解以上の者がそこから退かないこと ・処不退 : 西方浄土に生まれた者がそこから退かないこと 参考 新纂浄土宗大辞典 − 四不退 http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%9B%9B%E4%B8%8D%E9%80%80
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809 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 10:43:35.55 ID:plYq72XY0 - >>808
訂正 位不退 : 十解以上の者がそこから退かないこと 三不退、五不退など不退転の解釈もいろいろだし、それこそ ケースバイケースで見ていかないと。
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813 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 17:30:20.15 ID:plYq72XY0 - 浄土教における正定聚や不退転は、『華厳経』及び『菩薩瓔珞本業經』に説かれる
菩薩の階位と必ずしも同じことを表す訳ではない。これまたケースバイケース。 源信は『往生要集』下巻で処不退について以下のように記している。 問ふ。 かの国の衆生はみな不退転なり。 あきらかに知りぬ、これ凡夫の生処に あらずといふことを。 答ふ。いふところの不退とは、かならずしもこれ聖の徳にあらじ。 『要決』(西方要決)に いふがごとし。 「いま不退を明かすに、その四種あり。 『十住毘婆沙』にいはく、 〈一には位不退、 (〜中略〜) 四には処不退、文証なしといへども、理に約してもつて成ず。 いかんとならば、天の なかに果を得れば、すなはち不退を得るがごとく、浄土またしかなり。 命長くして病なく、 勝れたる侶と提携し、純正にして邪なく、ただ浄にして染なく、つねに聖尊に事へまつる、 この五の縁によりてその処に退くことなし〉」と。 {以上略抄}
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816 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 17:46:05.62 ID:plYq72XY0 - 信心が退転することがあるかないかという問題について、親鸞(真宗)と
浄土宗鎮西白旗派とでは考え方が違う。 他宗派の考え方を知ることもまた愉しからずや。 親鸞(真宗) WikiArc − 不退転 http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%B8%8D%E9%80%80%E8%BB%A2 浄土宗鎮西白旗派 新纂浄土宗大辞典 − 三心退不退 http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%B8%89%E5%BF%83%E9%80%80%E4%B8%8D%E9%80%80
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822 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2019/05/09(木) 18:15:52.10 ID:plYq72XY0 - >>819
それぞれの宗派でそれぞれのやり方で問題を乗り越えようとしているから、 そういうのを知るのも大事かもね。 『徒然草』第三十九段も面白いよ。 https://roudokus.com/tsurezure/039.html
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