- 浄土宗ネラー坊主の会【第61願】
185 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 2108-G1wx)[sage]:2019/01/18(金) 07:43:54.43 ID:xl6M5xkF0 - 覚りを開き涅槃(煩悩を滅尽して悟りの智慧を完成した境地)に入ることが仏教の目的とされる
のは、生死を超えた覚りの世界に至ることが、あらゆる苦しみ悩みから脱却する究極の方法 であると、釈尊が説かれたからだね 釈尊は覚りを開いた後も、高齢から来る肉体の軋みや病に苦しんだが、それはまだ伝教の為 肉体を持っていらっしゃったからで、目的を果たされて入滅され、般涅槃(はつねはん、般は 完全の意)に入られている
|
- 浄土宗ネラー坊主の会【第61願】
189 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 2108-G1wx)[sage]:2019/01/18(金) 16:30:55.49 ID:xl6M5xkF0 - 中陰は7日ごとに亡き人を悼み、人が亡くなったという事実を遺族や友人が受け入れていくため
必要な期間だと思う 自分の経験からもそうだし、檀家さんの様子を見ていても、7日参りに行ったところとそうでない ところでは、随分違ってるからね
|
- 浄土宗ネラー坊主の会【第61願】
192 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 2108-G1wx)[sage]:2019/01/18(金) 21:30:54.48 ID:xl6M5xkF0 - >>191
いわゆる「四諦」の考え方をざっくりまとめたもので、出典というほどのものはない 苦諦 : 迷いのこの世は一切が苦であるという真実 集諦 : 苦の原因は煩悩・妄執、求めて飽かない愛執であるという真実 滅諦 : 苦の原因の滅という真実。無常の世を超え、執着を断つことが、苦しみを滅した悟りの 境地であるということ 道諦 : 悟りに導く実践という真実。悟りに至るためには八正道によるべきであるということ 岩波の仏教辞典とかそんな感じ
|