- ◆◆◆仏教は不幸な死は前世が悪いと言う◆◆◆ [無断転載禁止]©2ch.net
983 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2018/10/28(日) 03:25:16.71 ID:GMcx8J8ta - 小部経典8: テーラガーター(長老偈)
1.8.10 ウッガ長老の詩偈 80.(80) もしくは、少なかろうが、多かろうが、〔まさに〕その、わたしによって作り為された行為(業)――この一切は、完全に滅尽した。今や、さらなる〔迷いの〕生存は存在しない。ということで―― 1.9.1 サミティグッタ長老の詩偈 81.(81) 過去における諸他の生において、わたしによって作り為された、〔まさに〕その、悪しきもの(悪業) ――それは、まさしく、この〔世において〕、感受されるべきもの。他〔の生〕の根拠〔となる過去の悪〕は、〔もはや〕見い出されない(悪業は、この世において滅尽した)。ということで―― 17.1.2 サーリプッタ長老の詩偈 1001.(1002) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。正知と気づきの者として、この身体を置き去りにするであろう。 1002.(1003) 〔わたしは〕死を喜ばない。〔わたしは〕生を喜ばない。しかして、雇われ者が報酬を〔待つ〕ように、〔為すべきことを為して、死の〕時を待つ。
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985 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2018/10/28(日) 04:11:21.94 ID:GMcx8J8ta - >>982
>806 人が「これはがわがものである」と考える物、ーそれは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理(ことわり)を知って、わがものという観念に屈してははらない。 (詩) 「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、 奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、 どれもすべて連れて行くことはできない。 すべてを捨てて行くのである。 人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。 人はそれを取って受けて、行くのである。 それは、かれに従うものである。 影が人に従って行くように。 それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。 功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」 (サンユッタニカーヤ) http://blog.livedoor.jp/shinbookdiary/archives/65918679.html
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986 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2018/10/28(日) 11:52:28.78 ID:GMcx8J8ta - 我がものであるのは業である
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