- もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ22023
32 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 073d-zuq5)[sage]:2018/10/13(土) 18:33:44.50 ID:C7tx7C5L0 - >>26
宗教史学を専門としている者です 現在でこそ「祟り」というと悪いものだとイメージしてしまうかもしれませんが 14世紀頃までの日本の神仏観は極めて独特なものでした それは一言で言うならば「災い転じて福となす」という考えです 即ち、祟る力が強ければ強いほど、その祟り神をお祀りして自分たちの味方とすれば強いご神徳が得られるという考えになります 菅原道真公は死後、天候を自在にあやつり藤原氏や朝廷に祟りを齎す存在として認識され、それを鎮めるために天神様としてお祀りすることとなりますが 天満宮を建立して道真公を天神として祀ることを決め進めたのは外ならぬ藤原氏でありました そこには道真公の霊力を自らの一族を守護するものとし、他の一族に後れを取るべからずという狙いがあったわけです 稲荷神にしても同様、食物を粗末にする秦氏の元に現れ警告を与えます。秦氏はそこに現在の伏見稲荷大社を建立したわけです 普通は祟られれば触らないようにしようと思うものですが積極的にお祀りし機嫌を取ることで神徳を得ようという価値観。牛鬼などの妖怪信仰もこれに付随してきます 多神教はそういったリアリズム的価値観を持った宗教という側面もあるわけでして 多神教が祟るから高等では無いということには繋がりません。そもそも一神教に代表されるキリスト教は「世界宗教」神道やヒンドゥー教は「民族宗教」という分類なので 信仰すれば遍くすべての人種と国の垣根を越えて恩寵が得られるという教義の観点から見れば確かにキリスト教は高等であると言えるかもしれませんね まぁしかしそれすらも単一方向からの見方でしかないということは無視できません。助けを求めていないのに一方的に救いにやってくる神を高等な神と呼べるかという問題です
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