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148
155
名無しさん@京都板じゃないよ
【祇園神】牛頭天王【疫病神】 [転載禁止]©2ch.net

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【祇園神】牛頭天王【疫病神】 [転載禁止]©2ch.net
152 :148[]:2017/04/10(月) 00:00:18.12 ID:gn8y+NMxd
>>151
はい、場所によっては明治からいきなり素戔嗚尊になったところもありますが、八坂神社は昔から素戔嗚尊です。
なお八坂神社の公式見解では平安時代の祇園社創立の時から素戔嗚尊ということですが、その当時は単に天神とだけ呼ばれていたという史料しかないため、一番最初は素戔嗚尊でも牛頭天王でもなかったというのが一応有力説です。
もちろん、最初から神は素戔嗚尊であり、それを天神と呼んでいたのだという説もあります。
いずれにせよ、史料からは遅くとも鎌倉時代までには祭神は牛頭天王、素戔嗚尊となっていたことが判明しています。
八坂神社の社家は古くから紀氏でした。紀氏では紀貫之が素戔嗚尊を和歌の始祖と崇めているため、八坂神社では紀氏が社家であることと素戔嗚尊が信仰されてきたことと関係があるとする学説もあります。
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154 :148[]:2017/04/10(月) 09:07:12.00 ID:gn8y+NMxd
>>153 ありがとうございます。熊野は詳しくないのですが家都美御子は江戸時代になって素戔嗚尊と言われるようになったと聞いております。
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155 :148[]:2017/04/10(月) 09:17:39.84 ID:gn8y+NMxd
補足して祇園信仰を例に取りますと、祇園の神は最初は単に天神と呼ばれる神でしたが、仏家は祇園神を牛頭天王と考え、神道家は素戔嗚尊と考え、陰陽家は天道神と考えるようになりました。
このように色々な信仰や立場からある神の正体を論考することはよくあります。
大国主信仰の出雲大社も一時期、素戔嗚尊を主神にしていましたが、これも出雲神を素戔嗚尊と考える勢力の伸張によるものでした。
家都美御子も同様に、おそらくは国学の隆盛とともに素戔嗚尊と考える勢力が強くなって江戸時代に素戔嗚尊と言われるようになったのだと推測します。
ただ、小生は熊野信仰はまだ手が及んでおりませんので、もっと詳しい方がおられたらそちらの方が信頼できると思います。
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159 :155[]:2017/04/10(月) 20:59:55.59 ID:gn8y+NMxd
>>156 スサノオ信仰はご指摘の通り実に捉えがたいもので、一貫したスサノオ信仰というものがなかなか見いだしがたく、ある研究者によるとその痕跡をたどるのはとても困難であるということです。
スサノオ信仰事典という分厚い論文集にそのように書いていました。
私も次はスサノオ信仰を調べたいのですが、これはかなり大変な仕事になりそうです。
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160 :155[]:2017/04/10(月) 21:07:08.73 ID:gn8y+NMxd
>>157 祇園信仰と他のスサノオ信仰や牛頭天王信仰は区別して考える必要があります。
祇園信仰では素戔嗚尊イコール牛頭天王でした。これは中世の吉田神道の正式見解でもあり、室町時代の吉田神道の書物にも明記されています。鎌倉〜室町時代の祇園社記にも明記されています。
グーグルで仏像図彙&牛頭天王で画像検索してください。すぐに江戸時代の牛頭天王イコール素戔嗚尊とする絵が出てきます。
例えば埼玉の竹寺では牛頭天王イコール素戔嗚尊ではなかったようです。このように場所に祭神の解釈は場所や寺社や宗派によって異なります。
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161 :155[]:2017/04/10(月) 21:12:01.71 ID:gn8y+NMxd
>>158 牛頭天王を信じないものは誅殺されます。信じる者には限りない福徳を与えます。
以下に修験道の牛頭天王六印法の御真言を記しておきますので、こちらを三回唱えて頂ければもう大丈夫です。

おん はられいきゃ 牛頭天王 誓願 随喜 延命 そわか
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163 :155[]:2017/04/10(月) 22:09:23.68 ID:gn8y+NMxd
スサノオ信仰事典は公共の図書館によく置いてあります。
ただ、同じシリーズの祇園信仰事典がクオリティが高いのに対し、スサノオ信仰事典は残念ながら論文の寄せ集めで、スサノオ信仰の実像に迫れる内容ではありませんでした。
これは執筆者が悪いのではなく、それだけスサノオ信仰の実像が捉えがたい難しいテーマということと思います。
ここでいうスサノオ信仰とは古事記等にあるスサノオ像ではなく、人々が実際にどのようにスサノオを信仰してきたかということです。
私は祇園信仰と牛頭天王信仰の論文はおそらく全て読み通していますが、スサノオ信仰はこれらよりずっと難しいと感じています。
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167 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2017/04/10(月) 23:34:32.06 ID:gn8y+NMxd
>>166 祇園信仰事典は祇園社の歴史メインですので私にはとても良かったですがスサノオ信仰関係の内容は薄く、少し物足りなく思われるかもしれません。その意味ではスサノオ信仰事典の方が全編スサノオですので、良いかもしれませんね。
あと私は読んでいませんが同じシリーズに熊野三山信仰事典もあります。
私のスサノオ信仰への関心は、古事記の文脈からはなれて、どのようにスサノオが人々から信仰されてきたか、という点にあります。
古事記の記載には反しますがスサノオは時には開闢神と考えられたり皇祖神と考えられたりしていました。
また、その主たる性格は古事記に現れるような英雄神というよりも、農耕神としての信仰が大きかったようです。
実に多様な性格をもつ、興味の尽きない神様です。
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168 :名無しさん@京都板じゃないよ[]:2017/04/10(月) 23:55:32.64 ID:gn8y+NMxd
>>164 もちろん、スサノオと牛頭天王は議論の余地なく別系統の出自の神です。祇園信仰においては信仰としてこれを古くから同じ神と考えていたということです。
キリスト教で言えば主神であるヤハウェとイエスは歴史的には完全に別の出自の存在ですが、神学上は三位一体説として同じ存在とされている、というようなものでしょう。
ちなみに祇園信仰においては祇園牛頭天王は仏の要素もあるのですがどちらかというと神に近い存在と言われているので、スサノオとの習合は神仏習合というよりも神と神の習合かもしれませんね。


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