- 【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン93【御同行】©2ch.net
390 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 399d-krK8)[]:2017/02/27(月) 00:29:22.25 ID:N3XbvNza0 - 南無不可思議光 一心帰命稽首礼
曇鸞『讃阿弥陀仏偈』 しかれば曇鸞和尚の『讃阿弥陀仏の偈』には、難思光仏と無称光仏とを 合して、「南無不可思議光仏」とのたまへり。 親鸞『弥陀如来名号徳』 「不可思議光仏」「不可思議光如来」は曇鸞と親鸞の合作 参考 Wikipedia“名号” https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%B7
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398 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 399d-krK8)[]:2017/02/27(月) 11:10:07.33 ID:N3XbvNza0 - 阿弥陀仏の語源として昔からアミターユス(無量の寿命のある者)、
アミターバ(無量の光のある者)が知られているのが、『無量寿経』には 無量寿仏の異名として十二光仏の名称があげられている。 『無量寿経』の難思(人・天・菩薩では、計り知る事が出来ない)光仏と 無称(どのように言葉を用いても、言い表せない)光仏の意味を取って 曇鸞が阿弥陀仏を「不可思議光」と表したとするのが親鸞の説。 ちなみに道綽も善導も法然も「不可思議光仏」「不可思議光如来」という 表現をその著作の中で使用していない。
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399 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 399d-krK8)[]:2017/02/27(月) 11:26:52.92 ID:N3XbvNza0 - 梵文『無量寿経』において十二光仏に対応する部分には、漢訳よりも多い
二十の名称があげられている。(岩波文庫『浄土三部経』上 P58−59)。 また、そこには難思光仏に対応する「アチンティア・プラバ(不可思議なる 光明ある者)中村元訳」はあるが、無称光仏に対応する名称はない。 『岩波仏教辞典 第二版』(2002)より 不可思議 ふかしぎ [s : acintya] 原語は、思いはかることのできぬ の意で、その漢訳語。また〈不思議〉に同じ。いずれも漢訳仏典の造語 である。(中略)本来は凡俗人には思いはかることのできない事柄のみを 修飾する言葉で、わが国での用法とはやや異なる。
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