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326 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 39f1-M7EA)[sage]:2017/02/23(木) 11:53:23.86 ID:6g1jeGwT0 - “ペット供養”でググってたどり着いた論文(>>314)
『ペットの家族化と葬送文化の変容』 内藤理恵子(著)の抄録。 今日、日本の葬送文化はさまざまな変容を遂げている。本論では、特に 今日のペット供養を取り上げ、伝統的に行われてきた畜生供養とどのように 異なるのかを明らかにする。(〜中略〜) ペットが家族化した現在、多くの場合、飼い主は、個々のペットの他界観に 関して小さな物語創作を行い、自らの死後、ペットとの再会を願っている。 しかし、これはペットに限った現象ではなく、人間に対する他界観に関しても、 死者を祀る側の願望にしたがって、小さな物語創作が行われてきているのが 垣間見える。 安達VS林田の議論も興味深いが、宗学とは違う視点からペット供養をみる のも面白い。
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328 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 39f1-M7EA)[sage]:2017/02/23(木) 13:04:59.14 ID:6g1jeGwT0 - 上にあげた論文の「おわりに」より
供養を請け負う施設、主に寺院では、そのような個人的創作の枠に 留まる小さな物語に対し、決定的な宗教観念を打ち出すことはでき ない。ペット供養の繁栄は、仏教寺院への信仰というよりは、自分 だけのペットの「物語」に取り入れる「パーツ」としての繁栄ともいえる だろう。しかし、これはペット供養のみに言及されるような問題ではなく、 人間の供養を含めた大きな問題でもある。人間の供養に関しても、 もはや大きな物語というもの存在せず、細切れで飽きっぽく、一貫性 のない小さな個々の事象に落としこまれている。個人は単なる 「思い出」として語られ、他界の物語を完全喪失している側面もある。 現代のペット供養の事情はどんなもんだろうかと読み始めたら、 最後に身につまされるような指摘があった。 自分たちのやっていることが外からどのように見られているかを 知ることも大事なことだな。
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331 :名無しさん@京都板じゃないよ (ワッチョイ 39f1-d4M5)[sage]:2017/02/23(木) 23:17:09.43 ID:6g1jeGwT0 - >>330
長くなるので省略したけれど、>>328の引用文の前には以下の 文章があります。「ペット」を「亡くなられた人」に置き換えて考えると おそろしく身につまされる感があります。 現世での人間とペットの関係性が究極の幸福であると認識して いるため、人間は人間のまま、ペットはペットのままで関係性を 恒久的に反芻したいと願う状況を現在のペット供養において見る ことができる。そのペット供養文化の内実は、飼い主が個々に 所有する「私のペットをあの世に送る小さな物語」の集合体であり、 その他界観はアノミー状態を引き起こしている。 (以下、>>328の引用文に続く)
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