- 仏教って700年頃に新しく入ってきた物であり [無断転載禁止]©2ch.net
36 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2017/01/02(月) 03:08:40.72 ID:FYjqevmp0 - 皆さんご存知とおもいますけど神道の原型は古墳時代以前の昔の資料を読むと今と違います。
ほとんど現存している神道とは似ても似つかないないような土着信仰で シャーマンの存在は大きい。琉球のような信仰が組織化されたものがヤマト政権 となり、これから変容して物部神道などの近代に近い神道へと変容したのでしょう。 これは中国の記録にはっきりと書かれている。 この後に中国の近代国家に習うべきと聖徳太子の時代がやってきて仏教との関わりが生じる。 宗教は別にして聖徳太子の生きた時代は大化の改新により近代社会に時代が大きく変わるタイミングといえる。 日本神話は歴史として教えることはナンセンスだから古事記は無理がある。 近代的な考古学調査でも明らかでこんなものを歴史として教える宗教は お隣の韓国の古朝鮮檀君と同じようなものであり日本神話も神という概念を取り入れた捏造史観でしかない。 この神話を歴史と捕らえるかという議論はあったのだろうかとは思う。 大化の改新のとき中国の文化も取り入れていたので中国の歴史調査資料も当時の人は 読んだはずで、日本の歴史資料を編纂する際に国内では神話しかないと気づいたことは 当然問題視されたのではないか?これが仏教推進派の一つの理由となるかは判らないが。 ちなみにだが、今でも自衛隊や警察官をしている人の家系を聞くと物部神道に関わる 家系出身の人が居るので因縁というものは深いなと思う。
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- 神職だけどなんか質問ある? [転載禁止]©2ch.net
814 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2017/01/02(月) 03:44:42.69 ID:FYjqevmp0 - >>811
たしかにその気持ちはわかるが、道理というものは神道にはなくて 儒教の考え方だからな。神道の経典にも上下を重んじたり道徳を大切にせよとは かかれていません。 並ぶという行為自体も秩序を重んじるという考えかたも、道徳とは本来は 神道由来ではなくて儒教由来。なので日本の文化は神道だけで 成り立っているわけではないのでその点を注意したほうがよい。 古来神道は特に古墳時代以前の祭祀は今と違っていて、価値観も違う。 当時の社会は脱獄を許さない恐ろしい村社会のルールがあって人質をとって 遠出が許されるようなものです。 当時の様子は古代中国の調査記録(倭人伝)にある。
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- 天皇の本質は、シャーマンの親方なの?どうなの?
107 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2017/01/02(月) 04:27:35.82 ID:FYjqevmp0 - ・日本神話を読むと東方征伐(先住民との戦争)が記載されていること、
・出雲系神話(島根県付近)を見ると先住民と渡来系の争いがみられること、 ・発掘調査で古墳遺跡は大陸(朝鮮)とのつながりを示す遺物が多数出土すること、 ・遺伝的調査で西日本は中国東北部、朝鮮半島人種に近いことが判明していること ・古い時代の朝鮮(百済)などとの関わりが深いこと、 ・倭人伝が記録されたころ(神道の始まる古墳時代付近)にはそもそも天皇の記載はないこと、 ・神道には古い時代の古神道(物部神道)など流派の違いがあり一貫していないばかりでなく古い神道を司る 一族が時の天皇に教えを教授していたこと、 などから見ても天皇そのものは渡来系という可能性が高いのではないか。 その祭祀のみ日本原住民の信仰していたシャーマニズムを流用したのではないか。
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- 天皇の本質は、シャーマンの親方なの?どうなの?
108 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2017/01/02(月) 04:44:59.00 ID:FYjqevmp0 - あと一つ
・過去も現在も天皇の墓が朝鮮半島の埋葬方式と極めて似ていること (一般庶民は墓石だがこれは中国仏教の影響と思われる)
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- 天皇の本質は、シャーマンの親方なの?どうなの?
109 :名無しさん@京都板じゃないよ[sage]:2017/01/02(月) 05:15:53.24 ID:FYjqevmp0 - 幕末から明治にかけての天皇の問題は上記とは大きく異なる問題になる。
日本の近代化は独自で立ち上がったのではなく技術、資金など海外の協力がある。 日本の近代化のプロセスではヨーロッパの国家運営モデルが参考にされ 王政が採用されたために天皇を中心とする社会が形成されることとなる。 この近代化の問題はまた幕末には一部の政治には無関係な神道団体が攘夷派と佐幕派の争いにより 攻撃を受ける原因を作った。 この頃の天皇問題は神道やシャーマニズムとは関わりはないといえる。 近代化により日本の天皇は皇帝としての役割を担わされることとなるが、 もともと天皇は神道と関わりが深いために宗教と容易には切り離せない。これが 第二次大戦を引き起こす原因となる、後の国粋主義的宗教としての国家神道の発生要因となる。 当時の明治政府周辺には近代化の発展には海外の協力者の存在は見え隠れするので、第二次大戦で終結する 一つの大日本帝国の要因は海外の特定の国の関与もあったといえよう。 (その証拠に現代でも天皇家とヨーロッパの王室のプライベートな付き合いは継続している) 近代の天皇の役割は祭祀を司る頃と比べて大きく違ってきている。現在まで続いている理由は その役割が戦前は皇帝、戦後は象徴として変わった為で、 戦後の象徴天皇はその役割について本来の役職である祭祀職に戻ったともいえるだろう。
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