- ゴー宣道場 223
752 :名無しかましてよかですか?[sage]:2019/12/08(日) 11:16:50.44 ID:mMdytL9O - shinkimu No.101
時浦さん、ご苦労様です。 お忙しい中お手を煩わせて申し訳ありません。 ただ、意見というのは削除はできても消すことはできません。 なかったことには出来ないんです。 議論、議論と言いますが、ゴー宣道場の方々は一体何がしたいのでしょうか。 反論者の誰もいないタコ壺の中で自分と取り巻きたちだけで 全ては万事うまくいっているような妄想に酔いたいのでしょうか。 それで皇室典範を改正することができると本気で思っているのでしょうか。 以下は4回目の投稿です。 以下は某ブログのコメント欄に書いた記事ですが、本日東海ゴー宣道場で 再び皇位継承についての議論が行われるとのことですので、 「男系維持派」のいち意見をこちらにも転載させていただきますね。 「こっちは8割の国民が味方についているマジョリティなのだ。」という 参加者の知性を愚弄するようなお話はできれば避けていただき、「批判者の内在的論理を 正確に弁えた上で本質的な反論を行う」という姿勢で議論していただければ幸いです。 では、以下転載いたします。
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753 :名無しかましてよかですか?[sage]:2019/12/08(日) 11:20:10.59 ID:mMdytL9O - (続き)数学者の藤原正彦さんは皇位継承について以下のように仰っております。
>例えば「男女男女」と2千年間続いてきたら、今後永遠に「男女男女」と 決まってるわけで。あるいは「男男女男男女」と桂馬のように飛んできたら、 これからも永遠に桂馬のようにするわけで。あるいは「天皇家で毎朝1時間、イワシの頭にお祈り」してきたら、 今後永遠にイワシの頭に1時間お祈りしなければいけない。 これが保守思想というもので、エドマンド・バークの言に倣えば、 「人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のように堆積している 古来からの“制度”には及ばない、矮小で欠陥だらけのもの」であり、 それゆえ「理性主義を根源的に危険視し、慎慮を提起する。言い換えれば個々の人間を、 多くの間違いを冒す不完全な存在と看做す」その「謙抑な人間観」こそが肝要ということです。 男尊女卑とか家父長性とかそういうことは後づけの話で本質とは無関係なのです。そこがなかなか理解してもらえない。
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- ゴー宣道場 223
754 :名無しかましてよかですか?[sage]:2019/12/08(日) 11:24:28.47 ID:mMdytL9O - (続き)たとえば将来、愛子様の御子孫が皇位を継承した場合、ウィキペディアにも以下のような記事が載ると思います。
「2000年以上に及ぶ皇統の万世一系はX年の時点で崩れており、 実質的な王朝交代となっている。そのため現天皇は正統性を有した天皇ではないと主張する者もいる。」 憲法第一条の「天皇の地位は国民の総意に基づく」の部分が崩れてしまうわけですが、 それは一部のマイノリティの主張などでは収まらず、やがて国民全体に野火の延焼のように拡がっていくものと思います。 なぜならそれ(皇統すなわち血統)こそが天皇性の本質だからです。 言葉は悪いですが、「ハリボテ」になってしまうということです。 仙台藩祖伊達政宗の霊廟である瑞鳳殿は空襲で焼けてしまい今あるものは戦後建てられたレプリカです。 それはそれは豪華絢爛で見事な建物ですが所詮レプリカはレプリカです。敬意を払う者はほとんどおらず、訪れる者も少なくすっかり寂れています。 天皇制も同じで、よく言われる「ここが崩れたら三代と持たずに潰れてしまう」というのはそういうことです。本当にシンプルな話なんです。
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- ゴー宣道場 223
755 :名無しかましてよかですか?[sage]:2019/12/08(日) 11:28:34.64 ID:mMdytL9O - (続き)この議論を意味のあるものにするためには、佐藤優さん風に言えば
「相手の内在的論理をしっかりと捉え本質的な反論をする」ということが何より肝要かと思いますが、 例によってゴー宣道場の言説は、意図的なものなのかもしれませんが、 ひたすら揚げ足取りに終始したものでしかなく、これではアンチだけではなくシンパも白けないのかと不思議に思います。 この反知性的なワンパターンはいつまで続くのでしょうか。 私が道場に心から愛想が尽きた理由もそこにあり、いかなる立場を取るにせよ、 読者の知性をあまり見誤らない方がよろしいかと思われます。「見ている人は見ている」のです。 小林氏にしろその取り巻きにしろ、視野狭窄になりすぎたあまりの人知に対する「畏怖の欠如」はある意味感心するほどです。 後々ハッと目が覚めた時に、後悔でもんどり打つようなことにはならないでしょうか。他人のことながら心配になります。 小林先生をはじめ師範のみなさんは本当に後戻りできないところまで来てしまいました。それゆえの「謝ったら死ぬ病」だということはわかりますが。 そのイライラが毎日の発信に現れています。その点に関しましては同情を禁じ得ない部分もあります。
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