トップページ > ゴーマニズム > 2017年01月22日 > bWBfFxVH

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名無しかましてよかですか?
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242 :名無しかましてよかですか?[]:2017/01/22(日) 10:41:13.10 ID:bWBfFxVH
今朝のフジTVの報道番組で平井という人が例のアパホテルの問題で「こういうのは
いつも日本のマスコミから発信し事を大きくする」と言っていた。マスコミに籍を
置く人がこういうことを言うのは時代が変わったなという感がある。もう一つ時代が
変わったと思ったのは、一昔前なら「侵略」を「進出」に書き換えたとかいう教科書問題や
南京大虐殺問題や百人斬り問題や従軍慰安婦問題などマスコミが発信すれば
社会や隣国に燎原の火のごとく炎上したが、今や静かなもんだ。左翼世代である
団塊の世代が老齢でおとなしいからなのか、現代の世代がこの手のレトリックに引っかからなく
なったのかは分からんがね。この時代に小林は無謀というか「戦争論」を出した。
これだけは評価してやらなきゃならんと思う。
小林よ好かったな、自分が思い描く社会になって(笑)
ゴー宣道場 125 .©2ch.net
243 :名無しかましてよかですか?[]:2017/01/22(日) 11:20:12.34 ID:bWBfFxVH
>>238

もうちょっと勉強したほうが良いんじゃないかな。尾崎秀美はソ連を「マイホーム」と
供述調書で呼んでいたらしいぞ。国際共産主義に洗脳されたものはコミンテルン大会の指示で
その国際戦略(レーニンの敗戦革命論)に加担していった。ソ連は日本以上に大事な
総本山だったのだよ。石原莞爾はたしかにレーニンを崇拝していた。
しかし、石原莞爾が考えた国家体制は永田鉄山と同じで次の国家総力戦に備える為に
日本をソ連と同じ政治・経済を統制した国家にするという国家社会主義的ものだったようだ。
その為に満州の建国後に浅原健三、宮崎正義などの左翼を満鉄調査部などに引き抜いた
らしい。しかし、これら左翼は石原とは違う思惑で動いていたようだ。
満州事変と三月事件、十月事件は連動して動いている。大川周明は置いておいて
橋本欽五郎はトルコ駐在武官だった時代に社会主義者だったケマル・パシャと
当時、トルコに亡命したトロッキーに接触しその考えに感銘を受けているらしい。
石原は満州国が社会主義で成功すればそのまま日本に移植できると考えたらしいのだ。
しかし、国際共産主義者は違う思惑で動いていたのだよ。
石原は満州と華北の資源だけでアメリカに対抗できると考えていたようだが、
やはり、経済の素人なのだよ。シベリアや東南アジアや中東を取らなければ
無理なのだよ。しかも、その時代はまだ満州の油田も発見されていない。
カイキちゃんは、アメリカは一国でも自給自足できる国であることを無知だから
知らないのだよ。その当時の日本は70%もの資源をアメリカから輸入していたのだよ。
じゃあ何故に戦争したかっと君は聞くだろうが、ソ連の敗戦革命論を信奉する
者達によってだよ。だから、東京裁判の判事席にソ連代表がいるのは茶番以外の
なんでもないのだよ。
ゴー宣道場 125 .©2ch.net
249 :名無しかましてよかですか?[]:2017/01/22(日) 15:49:03.01 ID:bWBfFxVH
>>245

言い逃れと言われてもな(笑)コミンテルンとの勢力争いが満州事変で、日中戦争が
共産主義者同士の権力闘争で主導権争い?こんな珍説初めて聞いたよ。
日本に巣くう共産主義者はソ連に代わって共産主義の盟主になる為に膨張主義を
国策にしたということか(笑)なるほどコミンテルンの配下から独立して
世界を日本盟主の共産主義化する為にソ連と張り合うてか。SF超大作だな。
その割には、大戦末期にソ連に対米戦の仲介を頼ろうとした奴が多いな(笑)
小林の言うインターナショナリズムの世界を実現するのに日本とソ連で張り合っても
しょうがないんじゃないのか(笑)コミンテルンがなくなるまでコミンテルンの
モスクワでの世界大会には日本は代表を出していたがな。
共産主義と国家社会主義の違いから勉強したほうが良いのじゃないか。
誰でもかれでも共産主義者だったわけじゃないよ。
ゴー宣道場 125 .©2ch.net
251 :名無しかましてよかですか?[]:2017/01/22(日) 16:20:15.65 ID:bWBfFxVH
>>245

は〜、なるほどそういうことか。日中戦争、日米戦争の裏にコミンテルン、スターリンの
策謀はなかったと言いたいわけか。ユン・チアンの「マオ」を読むと毛沢東と
スターリンの盧溝橋事件、第二次上海事変でのやり取りが詳細に取材されているよ。
読んでみたまえ。また、ソ連のタス通信の記者が当時、延安で取材した日記が
本で出ている。これも毛沢東とスターリンの興味深いやり取りを記録している。
西安事件の時に毛沢東は蒋介石を殺そうと考えたらしい。スターリンは猛烈に
それは愚かなことだと毛沢東を諭している。国民党はこれも猛烈に共産党に敵愾心を
燃やすだろう、それは得策ではない。助命を理由に蒋介石に国共合作を迫り、
共に日本軍と戦うことを約束し、共産党に向けている牙を日本軍に向けさせ
共倒れするように持っていくのが上策だと諭している。ソ連としては対独戦が
あるとすれば、ソ満国境の日本軍は脅威になる。中国の奥深くに誘い入れることと
対英米戦に日本軍を向けることで二正面作戦は避けられ、疲弊した国民党政府に代わり
共産党が政権を握り、孤立した日本も敗戦の疲弊の中から共産主義革命が起こると
王明や毛沢東に語っている。なんのことはないレーニンの敗戦革命論そのものなのだ。


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