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322 :名無しかましてよかですか?[sage]:2016/12/30(金) 12:51:13.79 ID:7tpZDSE9 - [古谷経衡のエッセイ]
▼さようなら小林よしのり先生 http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/20120622/1374518350 問題なのは、なぜ先生は徹底的に人を馬鹿にするのか、ということです。ネトウヨという人が仮にいるとします。 いるとしても、ここまで徹底的に、剥き出しの憎悪を向ける小林先生の心情とは一体何であるか。 フジテレビデモに集まった大衆を、「無職、低所得、ニートの吹き溜まりがデモをしている」と言った時もそう思いましたが、 馬鹿にするならするで、普通ここまで、心底からの敵愾心を吐露したりするのは一寸異常です。 それはつまりこういうことなのではないですか。上記の小林先生のブログ記事の「在日」の部分を「ネトウヨ」に 置き換えてみるとよくわかります。 『それはかつてのオウム真理教の信者とよく似た選民意識だが、正確にはもっと弱い自己を隠すためにネトウヨ 「陰謀論」をカルト信仰にして、排外的な攻撃性をむき出しにしている。』 まさに「ネトウヨ」という人々に向けられる人々への蔑視と敵愾心は、先生自身の選民意識と劣等感そのものと 表裏一体なのではないか。一読者としてそう思わざるを得ない。 昔の先生は人を見下すということ、特に読者を見下すということをしなかった。手塚治虫先生も「読者を馬鹿にしてはならない」 といっています。それは兎も角、昔の小林先生は、読者を馬鹿にするのではなく、自分を馬鹿にしていた。 そうして自分を道化の一種として客観視することにより、自分を相対化させていた。 それがゴーマニズム宣言最大の魅力であって、ゴーマニズム宣言が思想評論漫画でありながら、 と同時にギャグ漫画としても何より秀逸であったことの証です。先生はそれを無自覚的かわからないがやっていたが、いまはそれがない。 漫画としてもう無価値だと思います。 http://livedoor.blogimg.jp/klpoigv72-00/imgs/a/e/aec3d4c9.jpg
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304 :名無しかましてよかですか?[sage]:2016/12/30(金) 12:51:29.73 ID:7tpZDSE9 - [古谷経衡のエッセイ]
▼さようなら小林よしのり先生 http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/20120622/1374518350 問題なのは、なぜ先生は徹底的に人を馬鹿にするのか、ということです。ネトウヨという人が仮にいるとします。 いるとしても、ここまで徹底的に、剥き出しの憎悪を向ける小林先生の心情とは一体何であるか。 フジテレビデモに集まった大衆を、「無職、低所得、ニートの吹き溜まりがデモをしている」と言った時もそう思いましたが、 馬鹿にするならするで、普通ここまで、心底からの敵愾心を吐露したりするのは一寸異常です。 それはつまりこういうことなのではないですか。上記の小林先生のブログ記事の「在日」の部分を「ネトウヨ」に 置き換えてみるとよくわかります。 『それはかつてのオウム真理教の信者とよく似た選民意識だが、正確にはもっと弱い自己を隠すためにネトウヨ 「陰謀論」をカルト信仰にして、排外的な攻撃性をむき出しにしている。』 まさに「ネトウヨ」という人々に向けられる人々への蔑視と敵愾心は、先生自身の選民意識と劣等感そのものと 表裏一体なのではないか。一読者としてそう思わざるを得ない。 昔の先生は人を見下すということ、特に読者を見下すということをしなかった。手塚治虫先生も「読者を馬鹿にしてはならない」 といっています。それは兎も角、昔の小林先生は、読者を馬鹿にするのではなく、自分を馬鹿にしていた。 そうして自分を道化の一種として客観視することにより、自分を相対化させていた。 それがゴーマニズム宣言最大の魅力であって、ゴーマニズム宣言が思想評論漫画でありながら、 と同時にギャグ漫画としても何より秀逸であったことの証です。先生はそれを無自覚的かわからないがやっていたが、いまはそれがない。 漫画としてもう無価値だと思います。 http://livedoor.blogimg.jp/klpoigv72-00/imgs/a/e/aec3d4c9.jpg
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57 :名無しかましてよかですか?[sage]:2016/12/30(金) 12:52:27.00 ID:7tpZDSE9 - [古谷経衡のエッセイ]
▼さようなら小林よしのり先生 http://d.hatena.ne.jp/aniotahosyu/20120622/1374518350 問題なのは、なぜ先生は徹底的に人を馬鹿にするのか、ということです。ネトウヨという人が仮にいるとします。 いるとしても、ここまで徹底的に、剥き出しの憎悪を向ける小林先生の心情とは一体何であるか。 フジテレビデモに集まった大衆を、「無職、低所得、ニートの吹き溜まりがデモをしている」と言った時もそう思いましたが、 馬鹿にするならするで、普通ここまで、心底からの敵愾心を吐露したりするのは一寸異常です。 それはつまりこういうことなのではないですか。上記の小林先生のブログ記事の「在日」の部分を「ネトウヨ」に 置き換えてみるとよくわかります。 『それはかつてのオウム真理教の信者とよく似た選民意識だが、正確にはもっと弱い自己を隠すためにネトウヨ 「陰謀論」をカルト信仰にして、排外的な攻撃性をむき出しにしている。』 まさに「ネトウヨ」という人々に向けられる人々への蔑視と敵愾心は、先生自身の選民意識と劣等感そのものと 表裏一体なのではないか。一読者としてそう思わざるを得ない。 昔の先生は人を見下すということ、特に読者を見下すということをしなかった。手塚治虫先生も「読者を馬鹿にしてはならない」 といっています。それは兎も角、昔の小林先生は、読者を馬鹿にするのではなく、自分を馬鹿にしていた。 そうして自分を道化の一種として客観視することにより、自分を相対化させていた。 それがゴーマニズム宣言最大の魅力であって、ゴーマニズム宣言が思想評論漫画でありながら、 と同時にギャグ漫画としても何より秀逸であったことの証です。先生はそれを無自覚的かわからないがやっていたが、いまはそれがない。 漫画としてもう無価値だと思います。 http://livedoor.blogimg.jp/klpoigv72-00/imgs/a/e/aec3d4c9.jpg
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