- 新田均すれ
785 :名無しかましてよかですか?[sage]:2011/04/21(木) 08:06:25.30 ID:wl0HsA/b - つか天皇家や公家には城に住むという文化がもともとないから。
城とは要塞なわけで、武家特有の文化だし。 天皇家も権力を手中におさめていた飛鳥あたりまでは 血で血を洗う悲惨な暗殺や殺戮が繰り広げられ、 臣下に斬り殺された天皇や自殺に追い遣られた天皇もいた。 すでに蘇我氏などの外戚勢力に牛耳られていたし 天皇には有力氏の後見がないものがなることができなかった。 武家が台頭してきたらあっという間に天皇はたんなる象徴になり、 武家政治に都合のいい人物が天皇に据えられ、都合が悪くなると譲位を強いて 権力を剥奪されてきた、江戸期には天皇が勝手に官位を与える自由も剥奪され 天皇の公家に対する権勢も削がれた。 天皇家はすでに象徴天皇としての歴史の方が長い。 超然としていたのではなく、たんに利用価値がないから 放置されてきたというべきだろう。 将軍家が天皇家を利用したのは和子入内の幕府創世記の初期だけ、 諸法度制定後は将軍家は外戚になることもなく、摂関家との縁組によって 公家への配慮を示したにすぎない。 天皇の権勢を削がれたことで公家が大名家との接近をさかんに計り、 有力公家が大名家との婚姻が盛んに行われたのも江戸期。 公家の天皇への忠誠が疎かになっていくことで天皇の外堀を完全に埋められた。 明治以降は完全な政府や軍部のかごの鳥、象徴天皇以外の何者でもない。 それでも戦後の天皇より憲法下におかれていないだけましだったろうな、 生活ぶりも立場に相応しい当時の最高レベルの生活を保障されていた、 今は限られた予算内で体面を保つのが精一杯だろう。 天皇家の歴史は外国の王制とは異なり、実質的権力者が必ず臣下であった ことが特徴としてあげられる。絶対王政ではなかったことで民衆の矛先がそれ、 同じ王朝が繋いでこれたわけだ。 そういう特異な王制は非常に興味深いものだが、それが絶対的な男系が どうちゃらとか、宗教がかったことを言い出すととたんに陳腐なものに貶められる。
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