- 現代文総合スレッド Part74
152 :大学への名無しさん[sage]:2017/11/07(火) 11:25:20.85 ID:2k/xGrtR0 - 最後にまとめておきますか。
当時の光景というのは、ふたつの段落に書かれてるんだけど、第一文には「という」とあるんですよ。 「という」がないところも、略されているとみるべきでしょう。傍線部も、 農業が盛んだったころの・・・残っているのだ「という」。 と補うべきとも読めますね。そう読めば、話はもっとはやいのですが、まあ、無理にそう読む必要もありませんが。 そしてここでわかるのは、あの光景というのは、筆者(馬場あき子)がだんだん構造をみて自然に筆者の目の前にみえてきた光景では ない ということですね。だれかから聞いた光景なわけです。 誰から聞いたの? 考えられるのは、 1,山羊小母 2,山羊小母の息子 3,筆者の父 4,郷土史家など郷土の民俗にくわしい人 5,村人 6,誰からともなく 7,つう禍 くらいですかね。 で、内容をよく読むと、様々な季節の光景が、まるでその場にいて自分で見ていたように描かれているわけです。片膝たてていたとか、隠居の老人は口少に控えめとか。 自分で見ていたように? もうわかりますね。
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156 :大学への名無しさん[sage]:2017/11/07(火) 13:03:15.62 ID:2k/xGrtR0 - ですから、
土間から上がった板敷には囲炉裏が切ってあり、冬場は・・・ 農業が盛んだった頃の一風景が、段差のある家の構造自体の中に残っているのだ。 の二段落すべての文に、「山羊小母は・・・という」と補ってみれば、意味がもっと明瞭になるんでしょうね。
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157 :大学への名無しさん[sage]:2017/11/07(火) 13:05:45.09 ID:2k/xGrtR0 - 古い家だとか、身分格差だとかを持ち出してくるのが、いかに不自然な読み方か、よく比べてみてください。
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159 :大学への名無しさん[sage]:2017/11/07(火) 14:26:24.00 ID:2k/xGrtR0 - そして全体の構成のなかで、最初に山羊小母の昔語りがおかれていることを確認してくださいね。
いろんな説明をやり散らかした感じで、結局あんまりまとまってなかったですが、まあ、ひとりくらいは、ヒントを得てくれればいいとおもいます。 それにしても、予備校なんかの解答がいかにいい加減かもよくわかったとおもいます。なんか納得いかないとおもったら、その感覚を大事にしてください。
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162 :大学への名無しさん[sage]:2017/11/07(火) 15:24:23.62 ID:2k/xGrtR0 - 仮に間違っていても、思考過程が書いてあれば、どこを間違っているか批判検証できるわけですが、思考過程もかかず(つう禍は絶対説明しないと書いたそのとおりでしょ)自分はただしいと言い張る、北朝鮮みたいなやつですね。
そんなやつが、現代文はおろか、なにかの学問なんかできるはずはないんですよ。だから、6年もこんなところで粘着してるんでしょう。
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