- 戦前からある大学総合スレ [転載禁止]©2ch.net
372 :大学への名無しさん[]:2017/05/24(水) 15:23:05.48 ID:4LzLKnEw0 - 大倉邦彦(東洋大学学長)
http://www.okuraken.or.jp/zaidan/ookura_k/ 東洋大学もめる 新体制の波紋に両教授辞職 時の合言葉「学問新体制」をめぐる一つの波紋が、東洋大学にまき起された、 昭和十三年七月同大学では学則改正問題を契機とする軋轢によつて、 藤村作博士ら古参教授十六氏が連袂辞職して大きな話題を投げたが、 去る一日またも同じ学内機構改革問題から二十年来教鞭をとつてゐる 仏教学科長常磐大定、哲学科長大島正徳の両教授が学長大倉邦彦氏に 辞表を提出した――そこには数年来の錯綜した事情があるといはれるが、 両氏辞職決意の最大原因は、要するにあくまで学園の伝統を守つて 「学問」に生きようとする人々と、いはゆる「新体制」派との鋭い対立にあるやうだ 同大学は、明治二十年井上円了博士の創立した哲学館にはじまり 「神、儒、仏三道の東洋哲学の講授と西洋哲学の兼修」を旗じるしとして来たが、 昭和十四年の拓殖科新設、予算削減による学校経営の合理化、 さらに産業報国運動の指導者養成を意図して、今春四月から 専門部の倫理教育学科を経済教育学科に改める方針の決定など、 同大学本来の面目は次第に崩れて行くかに見えた、そこへ突如として 断行されたのが「科長制度」の廃止である、従来は各学科の科長を中心に 各教授の協議によつて学内万般のことが運営されてゐた、しかるに三年前から 学内行政の決定権は東洋大学財団の理事をもつて組織される協議員会に移り、 しかも去る一月中旬この協議員会の決議により「今後各科長を廃止し 新たに学部長及び主任、専任教授を今春四月から置く」旨を抜打ち的に通告、 大学の苦難時代を闘つて来た教授連の引退をあからさまに要求したところから、 両教授の辞職になつたといふ (『朝日新聞』 昭和16年3月3日)
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- 日東駒専って叩かれすぎだと思う [無断転載禁止]©2ch.net
17 :大学への名無しさん[]:2017/05/24(水) 15:23:40.64 ID:4LzLKnEw0 - 大倉邦彦(東洋大学学長)
http://www.okuraken.or.jp/zaidan/ookura_k/ 東洋大学もめる 新体制の波紋に両教授辞職 時の合言葉「学問新体制」をめぐる一つの波紋が、東洋大学にまき起された、 昭和十三年七月同大学では学則改正問題を契機とする軋轢によつて、 藤村作博士ら古参教授十六氏が連袂辞職して大きな話題を投げたが、 去る一日またも同じ学内機構改革問題から二十年来教鞭をとつてゐる 仏教学科長常磐大定、哲学科長大島正徳の両教授が学長大倉邦彦氏に 辞表を提出した――そこには数年来の錯綜した事情があるといはれるが、 両氏辞職決意の最大原因は、要するにあくまで学園の伝統を守つて 「学問」に生きようとする人々と、いはゆる「新体制」派との鋭い対立にあるやうだ 同大学は、明治二十年井上円了博士の創立した哲学館にはじまり 「神、儒、仏三道の東洋哲学の講授と西洋哲学の兼修」を旗じるしとして来たが、 昭和十四年の拓殖科新設、予算削減による学校経営の合理化、 さらに産業報国運動の指導者養成を意図して、今春四月から 専門部の倫理教育学科を経済教育学科に改める方針の決定など、 同大学本来の面目は次第に崩れて行くかに見えた、そこへ突如として 断行されたのが「科長制度」の廃止である、従来は各学科の科長を中心に 各教授の協議によつて学内万般のことが運営されてゐた、しかるに三年前から 学内行政の決定権は東洋大学財団の理事をもつて組織される協議員会に移り、 しかも去る一月中旬この協議員会の決議により「今後各科長を廃止し 新たに学部長及び主任、専任教授を今春四月から置く」旨を抜打ち的に通告、 大学の苦難時代を闘つて来た教授連の引退をあからさまに要求したところから、 両教授の辞職になつたといふ (『朝日新聞』 昭和16年3月3日)
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- 日東駒専で最弱ってどこ? [無断転載禁止]©2ch.net
303 :大学への名無しさん[]:2017/05/24(水) 15:23:59.72 ID:4LzLKnEw0 - 大倉邦彦(東洋大学学長)
http://www.okuraken.or.jp/zaidan/ookura_k/ 東洋大学もめる 新体制の波紋に両教授辞職 時の合言葉「学問新体制」をめぐる一つの波紋が、東洋大学にまき起された、 昭和十三年七月同大学では学則改正問題を契機とする軋轢によつて、 藤村作博士ら古参教授十六氏が連袂辞職して大きな話題を投げたが、 去る一日またも同じ学内機構改革問題から二十年来教鞭をとつてゐる 仏教学科長常磐大定、哲学科長大島正徳の両教授が学長大倉邦彦氏に 辞表を提出した――そこには数年来の錯綜した事情があるといはれるが、 両氏辞職決意の最大原因は、要するにあくまで学園の伝統を守つて 「学問」に生きようとする人々と、いはゆる「新体制」派との鋭い対立にあるやうだ 同大学は、明治二十年井上円了博士の創立した哲学館にはじまり 「神、儒、仏三道の東洋哲学の講授と西洋哲学の兼修」を旗じるしとして来たが、 昭和十四年の拓殖科新設、予算削減による学校経営の合理化、 さらに産業報国運動の指導者養成を意図して、今春四月から 専門部の倫理教育学科を経済教育学科に改める方針の決定など、 同大学本来の面目は次第に崩れて行くかに見えた、そこへ突如として 断行されたのが「科長制度」の廃止である、従来は各学科の科長を中心に 各教授の協議によつて学内万般のことが運営されてゐた、しかるに三年前から 学内行政の決定権は東洋大学財団の理事をもつて組織される協議員会に移り、 しかも去る一月中旬この協議員会の決議により「今後各科長を廃止し 新たに学部長及び主任、専任教授を今春四月から置く」旨を抜打ち的に通告、 大学の苦難時代を闘つて来た教授連の引退をあからさまに要求したところから、 両教授の辞職になつたといふ (『朝日新聞』 昭和16年3月3日)
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