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54 :大学への名無しさん[]:2015/11/25(水) 20:22:24.73 ID:Igqs6ISA0 -
┏━━━ 「白山の哲学」なんて、どこにも書かれてません ━━━┓ ┃ ┃ ┃ 『東京遊学案内』 黒川文淵 (少年園・明治25年) .┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813218 ┃ ┃ 『立身成功案内』 平井嶺南 (文星社・明治40年) .┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758512 ┃ ┃ 『男女学校評判記』 太田英隆 (明治教育会・明治42年) .┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812968 ┃ ┃ 『中学卒業就学顧問』 (実業之日本社・大正3年) .┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/937435/140 ┃ ┃ 『学界異聞』 大塚虎雄 (先進社・昭和6年) ┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464521 ┃ ┃ 『大学評判記』 榛名譲 (日本公論社・昭和8年) .┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1465641 ┃ ┃ 『東洋大学創立五十年史』 (東洋大学・昭和12年) . ┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1712060 ┃ ┃ 『東洋大学一覧 昭和12年度』 (東洋大学) ┃ ┃ http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1463221 ┃ ┃ ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
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55 :大学への名無しさん[]:2015/11/25(水) 20:22:52.19 ID:Igqs6ISA0 - 『男女学校評判記』 太田英隆 (明治教育会・明治42年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812968 東洋大学(小石川原町) 本大学は始め僧侶養成学校として設立され、我が仏教界に少なからざる貢献をした。 然るに各宗派においても大学林を立て、自宗の勢力を張らんとするようになってから、 入学生が少なくなり、卒業生に中等教育の資格を得ることとした。 それがため生徒は多く入学するようになったが、教育方針が変わったため 特色を失することとなったのは惜しむべきである。 宗教家養成と教育家養成と相似寄った所があるにしても、自ら相違がなければならぬ。 それが何れつかずとなって、ただ生徒の多く入ることをのみ勤めるようになったのは 一般私立学校の弊とは云いながら嘆ずべきである。 近頃はまた支那人教育主義と変更しかけているようであるが、 こは猫目的教育方針とも云うべきで決して賞すべき教育主義ではない。
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56 :大学への名無しさん[]:2015/11/25(水) 20:23:20.41 ID:Igqs6ISA0 - 『学界異聞』 大塚虎雄 (先進社・昭和6年)
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464521 東洋大学 哲学館時代から騒動は名物 東洋大学の学長の任期満了となって、中島徳蔵氏の後任学長は高楠順次郎博士と決定した。 同時に理事の詮衡が問題となり、この理事の椅子の争奪戦から、一騒動もち上がったことは、 既にニュースとして新聞紙上を賑わしたことだった。 井上円了博士の哲学館時代から東洋大学といえば、 学校騒動にかけては敢えて他校にヒケをとらないところだ。 前学長中島氏その人が前々学長境野黄洋氏排斥運動に参画し、 遂にその椅子を奪い取った人物ではないか。 境野前々学長は東洋大学を退いてから「隋唐以前の支那仏教」で文学博士になった。 それ以前においても学殖の点では、すでに定評があった。学長としても相当に人望があったのだが、 幕僚某氏に災いされて行き詰まり、反対派の台頭を力で圧迫しつつ、無理強いに押し通そうとしたために 遂に瓦解してしまったのだ。今、京大で涼しい顔をしている和辻哲郎氏などは、排斥の急先鋒として 学生を前に熱弁をふるったものである。時あたかも東洋大学は、新大学令による昇格を目前に控えていた。 そして境野学長が苦心して集めた昇格資金は、ことごとこの騒動のために消費されてしまった。 訴訟事件の弁護料だけでも、何万円かがケシとんだと噂されている。
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57 :大学への名無しさん[]:2015/11/25(水) 20:23:53.28 ID:Igqs6ISA0 - 【東洋工作員が語らない境野事件】
大正12(1923)年、一職員の解職に端を発して、全学を巻き込む紛擾事件が起こり、 それは学園を二分した。学長境野哲はこの事件を処理できず苦境に陥り、 学生の学長暴行事件を誘発して、文部省による学長認可取消という 前代未聞の処分により、ついに学長辞任という結末をみるにいたった。 事件勃発後は校友会も二派に分かれて対立し、また教授側と協力して募金活動を おこなってきた昇格基金部も教授委員の脱退によりほとんど解体状態となった。 そこで、ついに昇格基金部は大正12年7月付で次のような声明を発表し、 昇格基金の寄附金募集を中止することにした。 昇格基金部の声明 我東洋大学の昇格運動は第一回の会報に其概況を報道した通り、旭日の勢ひを以て 最も順調に促進の気運に向ひ、正味二ヶ月間に拾万円を突破する好成績をあげ、 七月までには優に東京だけでも三十万円以上の申込を受くる見込みも立ち、 更に夏季休業を利用し全国各府県に遊説して、一挙に所期の目的を貫徹する予定であつたが、 あはれ好事魔多矣、何んたる不幸ぞ、我母校は空前の紛議に血塗れて了つた。 一部学生の動揺に連れ教授有志の乗ずる所となり校友の一部また之れに呼応するもの ありて、新聞政策盛んに行はれ、遂には学生の暴行事件も惹起し、学長の認可取消の厄に 遭遇した。それが為めさしも東洋学の権威たる我母校も其信用や天下に失ひ、曩に 全国各府県庁に申請した寄附募金願書も其儘中止の止むなきに至り、又校友諸君からも 寄附金の取消を申越されたるものも尠くないので、遺憾ながら一先づ積極的運動を中止し、 静に母校の信用恢復を待ち、三たび改めて陣容を立直す外なきことに決しました。 就ては第二回会報を発行して這次の成績と決算とを報告することに致しましたから 御一覧ください。事茲に至った詳細の事情は校友会本部の報告書で御諒解を願ひます。 大正十二年七月 東洋大学昇格基金部 (『東洋大学百年史 通史編T』 東洋大学、1993年)
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58 :大学への名無しさん[]:2015/11/25(水) 20:24:30.13 ID:Igqs6ISA0 - 東洋大学に辞表をたたきつけた和辻哲郎教授の証言(1923年、境野事件)
東洋大学は境野黄洋(哲)学長の時分で、私のいるうちに黄洋学長をなぐる事件が起こりました。 あの事件のキッカケを作ったのは私なのですが、背後でアジったろうという嫌疑で、 検事局へ呼ばれました。アジったわけではありませんが境野学長のやり方に憤慨して、 その日に辞職を申し出たことは確かなのです。 境野と云う人は少し金にだらしのない人で、学校の金を少し私事に融通していたのですね。 それを校友会の有力者の田辺義[善]知という日蓮宗の坊さんが嗅ぎつけて、 脅しの材料に使って、学校ののっとりにかかったんです。境野氏は止むを得ず田辺の言う通りに、 田辺と一緒に動き出したんです。その最初の現れは卒業生から卒業免状とひっかえに 校友会へ千円(だったと思います、当時としては大金でした)の寄附金を取るという計画でした。 全く悪どいやり方で、私たちはあきれていたのですが、学長はそれを押さえることが出来ない。 田辺を立てるために郷幹事などをやめさせることにまでなった。 それを見て私は、ひどく憤慨して、辞職を申し出たのです。丁度教場へ出ようとしていた時なので、 そのまま教場へ行って、今日は講義をするつもりで来たのだけれども、事情によってやめることに したから、これでお別れする、と言って帰って来たんです。その教場へ行ったのが、扇動と云う 嫌疑のもとになったんですね。学生たちも大体はそういう事情を知っていたらしいんで、 たまたま私が辞職したので、その理由を質問に行って、学長を大分吊し上げたのです。 その日は別に乱暴なことはしなかったのですが、その日から騒ぎが始まって、 その二、三日後に学長殴打事件が起こったのでした。 (和辻哲郎 「源泉を知る」 『心』 昭和34年6月号 75-76頁)
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