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506 :大学への名無しさん[]:2015/08/24(月) 20:37:40.66 ID:+GYhanAn0 - >>4
哲学館事件 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6 >公文書の開示結果、1920年(大正9年)に既に認可できる要件は整っていたが、 >この事件が影響して認可できないという内容が残されていることが判り、 >東洋大学が遅れた存在ではなかったことが証明された。 供託金すら満足に集められない「専門学校」の大言壮語w この供託額は1大学50万円のほか、1学部を増すごとに 10万円を加えるものであり、これを大学の認可を受けてから 3週間以内に供託しなければならぬというものであった。 当時大半の私立大学は授業料収入を最大の財源とし、敷地、校舎等の 不動産を除けば基本財産を殆ど持たなかったらしい。例えば法政大学の 大正6年度の経常費は僅かに3万円だったと言われる程の実情を見ても、 これは私立大学撲滅策だと言わざるを得なかったのである。 (早稲田大学大学史編纂所 『早稲田大学百年史 第三巻』 早稲田大学出版部、1987年) 各大学では供託金募集に四苦八苦していた。明治大学でも校友、在学生を 中心に募金運動が大いに盛り上がり、申し込み金額だけは膨大な額に達したが 実際の払い込みははかばかしくなかった。本大学でも三井八郎右衛門から3万円、 三菱合資会社1万5千円、住友吉左衛門3千円、台湾銀行2千円の合計5万円の 財界・企業からの募金もなくはなかったが、これは払い込み金額の25.6%にすぎず、 早稲田大学の70%強とは大きなひらきがあった。明治大学を支持したと見られる 弁護士集団にしても、彼らは実はサラリーマンであり供託金埋め合わせのために 補助金交付の建議はできても、自らが金銭的にバックアップすることは無理があったのである。 (明治大学百年史編纂委員会 『明治大学百年史 第三巻 通史編T』 学校法人明治大学、1992年)
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507 :大学への名無しさん[]:2015/08/24(月) 20:38:19.53 ID:+GYhanAn0 - >>4
>公文書の開示結果、1920年(大正9年)に既に認可できる要件は整っていたが、 >この事件が影響して認可できないという内容が残されていることが判り、 >東洋大学が遅れた存在ではなかったことが証明された。 大正7年12月大学令の発布に基き、 東洋大学はその昇格に対する準備を開始した。 而して之に要する基金を250万円と決定した。 (東洋大学 『東洋大学創立五十年史』 1937年) しかし、募金は目標金額には届かなかった。 昇格基金募集は其後一時停頓の形にあり、 大正12年初頭より更に努力を重ねたる結果、 同年8月寄附申込額金12万1750円、 払込額は金2万8261円65銭で、 未だ所期の目的貫徹には遥に距離があつた。 加之、大正12年の学内改革運動により当局者の更迭あり、 自然事務の渋滞を来したが、大正15年中島徳蔵氏 学長となるに及び学内組織も改め基金部も新組織に改変し、 一意其の準備に邁進した結果、漸く昭和3年3月大学令に依る 大学としての昇格を見るに至つたのである。 (東洋大学 『東洋大学創立五十年史』 1937年)
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508 :大学への名無しさん[]:2015/08/24(月) 20:38:55.48 ID:+GYhanAn0 - >>4
>公文書の開示結果、1920年(大正9年)に既に認可できる要件は整っていたが、 >この事件が影響して認可できないという内容が残されていることが判り、 >東洋大学が遅れた存在ではなかったことが証明された。 東洋工作員は大嘘つきだからw 大学令による大学としてその設立を認可されるためには、基本財産の国庫への供託という 財政面での条件を満たすほかに諸施設の整備もまた課題の一つであった。すなわち、大学として 十分な教授および研究ができるだけの施設を整えていることが設立の条件とされたのである。 東洋大学の場合はこの条件を満たすため、まず第一期工事として昭和2年以降校舎の建築に とりかかり、ついで第二期工事として図書館(図書類の充実も含む)の建築に着手し、 最後に第三期工事として講堂の建築をおこなって施設面の充実をはかっていった。 新校舎は昭和3(1928)年7月、図書館は昭和4年6月にそれぞれ竣工したが、 講堂は昭和8(1933)年3月になって、ようやく建築の基礎工事に着手し同年12月に その竣工をみたのであり、施設面での昇格条件を充足するためにはかなりの年月を要した。 (東洋大学創立百年史編纂委員会『東洋大学百年史 通史編T』学校法人東洋大学、1993年、1037頁)
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