- 【私学】明治大学経営学部03【最古】
1 :坂の上の白雲靡く[]:2014/05/15(木) 18:44:14.95 ID:Ew6bdVSJ0 - 前スレが落ちてたので、勃てますた、、、orz
明治大学経営学部 http://www.meiji.ac.jp/keiei/index.html
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2 :坂の上の白雲靡く[sage]:2014/05/15(木) 18:45:37.79 ID:Ew6bdVSJ0 - 明治時代。まことに小さな学校が、開化期を迎えようとしていた。
小さなといえば、明治初年の、明治法律学校ほど小さな私塾はなかったであろう。 校舎といえば神田小川町の長屋でしかなく、人材といえば留学から帰朝したばかりの岸本辰雄・宮城浩蔵・矢代操ら旧士族しかいなかった。 明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものをもった。 誰もが「国民」になった。 不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者として、その新鮮さに昂揚した。 この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ、この段階の歴史は分からない。 社会のどういう階層の、どういう家の子でも、ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも、官吏にも、教師にも、検事にも判事にも、成り得た。 この学校の明るさは、こういう楽天主義から来ている
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3 :坂の上の白雲靡く[sage]:2014/05/15(木) 18:46:36.28 ID:Ew6bdVSJ0 - >>2 続き
今から思えば、実に滑稽なことに、志願者は日に日に急増していった。そのため、ついに1886(同19)年12月11日、神田南甲賀町に自前の校舎を新築し、移転した。 財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代法律学校を作り上げようというのは、元々維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。 この物語は、その小さな学校が日本における最も古い大学の一つ東京大学と対決し、どのように振舞ったかという物語である。 主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかく我々は三人の人物の跡を追わねばならない。 山陰は、鳥取に一人の男がいた。この古い城下町に生まれた岸本辰雄は、民法典施行をめぐる大論争が起こるに当って、 国策によるドイツ・イギリス法の保護に対して、勝利は不可能に近いと言われたが、義を持って師ボアソナードを支持し、それを擁護する論陣を張った。 その友の宮城浩蔵は、日本の若き弁護士らを数多育成し、日本教育史上最凶といわれる東大の「私学撲滅策」を破るという奇跡を遂げた。 もう一人は、学位「明法学士」の発案と授与、専門学校令による「明治大学」認可、法・商・政・文の4学部体制、駿河台移転、大学昇格のための募金運動等々新風を入れて、 その中興の祖となった矢代操である。彼らは明治という時代人の体質で、前をのみを見つめながら歩く。 上って行く神田駿河台の男坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が靡いているとすれば、それのみを見つめて、男坂を上っていくであろう。 【司馬仲達郎 坂の上の白雲靡く より】 http://www.youtube.com/watch?v=P5ze4-iFEL4
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