- 日蓮ってver.54
608 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/06/28(日) 12:48:25.05 ID:r4WMYfqX - >>520
>>498での 『日蓮聖人は「末法にては余経も法華経も詮なし」と述べていたと思うけど、それはどう解釈する?』 という質問に対する、私の回答はどう思われましたか? 元々、ここから話が始まったのですから、私の回答を読んだ質問者である貴方に 責任ある回答を切に望みます。
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- 日蓮ってver.54
609 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/06/28(日) 12:56:14.16 ID:r4WMYfqX - >>488
>↑ここが致命的なまちがいですから、文章通りに トレーニングとしてやってみないと、座禅だけとか、 >ボケ老人の能書きとかじゃ、時間の無駄じゃないのかね…。 以前、ひろさちや氏が「ホフマンとバースタイン共著・The Sound of The One Hand」 を翻訳した「ウルトラ考案禅問答 解答集」(四季社)が禅に興味がある日本人の間で論争が起こりました。 ひろさちや氏は、何故、欧米のインテリ層は禅に興味を持つのか? というコンセプトで書かれたそうですが 禅を、各々が学んでいる日本人にとっては賛否両論でしたね。 賛は「教外別伝・方便を論理的に言語として論証していて一歩禅に近づけた」という人や 否は「本来、禅というのは静中の工夫と動中の工夫によって悟るべきものだ!」と主張する人。 私は、あなたの言う(論旨)静中の工夫と動中の工夫というトレーニングが大切だと思います。 しかし、夏目漱石などは(鎌倉円覚寺に参禅するも釈宗演老師に「全然ダメ!」と門から追い出されます) 上記の賛の立場では無かったのでしょうか? その体験を夏目漱石は「門」という小説で表現者として見事に10番目の図を表す事に成功しましたが。 法華系日蓮系の方々も同じような対立が存在しますが 「更に」ショペンハウアーが言うところの、自己欺瞞(死後の幸福や功徳など)による心の救済という問題がありますね。 そして法華系日蓮系の重要な問題は、この実存放棄の幸せを求める事や 「粗野な悟性は譬喩や象徴でしか受けれられない」という『事をメタ的に認識できない事』 が問題なのでは無いでしょうか? 日蓮系の方のTwitterやyoutubeを見ていると、それぞれの団体の方々が相手の団体を 批判していますが、彼らの論拠は日蓮御書からの引用や解釈の説明に終始し 『初めからネクサス構造の修飾節を(主節は完全に無視して)メインに据えている』事が伺えます。 心理学者のアドラーが言う様に 「それは、本当にあなたの課題ですか?」 と言いたくなる時が私にはあるんです。
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610 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/06/28(日) 19:06:55.77 ID:r4WMYfqX - 既視感があると思ったら誰かがコピペしてくれたんだね
確かに回答を望んでいるが 回答が無い事自体が、回答でもあるとも思える訳で これ以上、執拗に追い込む事もしないよ。 何を信じようと、それは自由だ。 ただ人から聞かされた事を、そのまま語っても その言葉には力が無い 信心を持つものなら、自信を持って私見を論じられなければならない。 例えば塚原問答でも、それは 目黒町なのか? 畑野町なのか? 塚原 根本寺なのか? ファクト・チェックをしないまま、人の言葉をそのまま語るという 言葉の自動機械になってしまっては 信者さんとしての実存は存在しないと思うが、どうだろう? 難しい事は上の人に考えて貰って、上の人から教えて貰いたい性格ならそれも認めよう。 ただ、そう言う人は教学を語れない。 そして『信心』も語れない。 大人しくしていなさい。 語り得ぬ物については、語らず(ウィトゲンシュタイン)
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611 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/06/28(日) 21:48:27.51 ID:r4WMYfqX - あれ?ID同じだね
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612 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/06/28(日) 21:56:22.69 ID:r4WMYfqX - ああ、これ履歴遡って
キャンセル/送信 で、送信の方タッチしてたんだな 自分のスレに、自分で答えてるw 俺はバカなのか? それとも私は瑞巌和尚の生まれ変わりなのだろうかw 百尺の竿頭に登りて、十方世界に身を投じるとするのじゃ(鬼和尚)
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