- 日顕死亡 その3
879 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/03/27(金) 17:31:59.12 ID:oTqnKdbL - >>878
もう少し勉強してからレスしようね。w 弘法は十住心論、秘蔵宝鑰二教論に「戯論となす」「無明の辺域にして明の分位に非ず」 「震旦の人師諍って醍醐を盗んで各自宗に名く」と。 すなわち大日経に対すれば、法華経は「戯れの論」であるとか、「大日如来に比べたら釈迦は無明の辺域である」とか、 さらにはなはだしいのは、「天台大師が真言の醍醐を盗んで天台宗を醍醐と定めた」というような、反対のことをいっている。 天台の一念三千を盗んで理同などといったのは、真言の開祖たちである。 自分が盗人のくせに、盗まれた人をさして「あれは盗人だ」といっているのである。 次に正覚房の舎利講の式には「法華・華厳等の仏は、正覚や弘法に比べたら、牛飼い、履物取にも及ばない」といっている。 さらに、慈覚大師、智証大師は身は天台の座主でありながら、真言を第一とし、理同事勝と立てている。 天台宗の中にもこの邪義邪見を破折する者がいなかったために、日本国中に亡国・堕地獄の悪法が弘まってしまった。 真言宗という宗は、わが国第四十四代、元正天皇の時代に、中国から善無畏三蔵がやってきたが、 大日経の経典だけを渡して弘通せずに中国へ帰った。 その後、玄ム等の僧も大日経義釈十四巻を伝えた。 さらに東大寺の得清大徳も真言を伝えた。
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880 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/03/27(金) 17:32:21.89 ID:oTqnKdbL - これらの書を御覧になった伝教大師は、法華経と大日経の勝劣について、彼らの言うことに不審を持たれていたゆえに、
去る延暦二十三年七月の御入唐のさい、西明寺の道邃和尚、仏滝寺の行満等から、止観の法門、円頓の大戒等を伝え、 加えて霊感寺の順暁和尚に会い真言を相伝されたのである。 かくして同延暦二十四年六月に帰朝されて、桓武天皇に御対面になり、宣旨を下して六宗の学生たちに止観真言を習ばしめ、 これを七大寺におくことにされた。 真言と天台の二宗の勝劣については、中国にも種々の主張があり、 また、大日経の義釈にも、法華の理と大日経の理はともに諸法実相だから等しい。 しかし印と真言が大日にはあるから事相において勝る、というような、理同事勝の邪論もあったけれども、 伝教大師は、「それらはぜんぶ善無畏三蔵の誤りである。大日経は法華経にまったく劣っている」と知ったため、 奈良の六宗の上に、天台宗を加えて七宗とはしたが、真言宗を入れて八宗とするということはしなあったのである。 しかも大日経をば、法華天台宗の傍依の経とされて、華厳・大品・般若・涅槃等と同列におかれたのである。
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881 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/03/27(金) 17:32:41.49 ID:oTqnKdbL - しかしながら当時は、大事な大乗別受戒の大戒壇をわが日本国に建立するために、
これをめぐって大戒壇を「立てる立て無い」と、諸宗との諍論が激しい時代であったがゆえに、 また対真言との争いにかかっては、大事な目的である円頓の戒壇建立に支障をきたす恐れがあると考えてのことであろうか、 天台・真言の二宗の勝劣については、弟子たちにも分明には教えられなかったようである。 ただし、伝教大師の依憑集という本には、正しく真言宗は法華天台宗の正義を偸みとって大日経に引き入れ、 大日経の意とし、理同などという邪義を唱えたという意があるのである。 ゆえに彼の真言宗は、天台宗に降伏した宗なのである。 ましてや不空三蔵は善無畏・金剛智三蔵が入滅した後インドに行き竜智菩薩に会った時 竜智は「インドには仏の本意を明かした教えがない。 中国には天台がいて、その釈こそまことによく邪正を正し、偏円を明らかにした文である。 であるならば、ぜひこれをインドに持ってきて伝えてほしい」と竜智は不空に頼んだ。 このことは、不空の弟子含光というものが、妙楽大師に話した法華文句記の十の末にある。 またその文が伝教大師の依憑集に載せてあるので、これを見れば、大日経は法華経よりも劣る ということが伝教大師の御心である、ということが明白になるのである。
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882 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2020/03/27(金) 17:34:11.14 ID:oTqnKdbL - ゆえに、釈尊も天台大師も、妙楽大師も、伝教大師も、皆一様に大日経等の一切経に比して、
法華経が最勝であると考えられたことは明瞭である。 また真言宗の元祖であるという竜樹菩薩のお心も同じである。 大智度論をよくよくたずねてみるならば、このことは明らかであるのに、 不空が書いた誤りの多い菩提心論に多くの人が迷わされ、竜樹菩薩のお心も見失うこととなったのである。
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