- 【覚醒】2世3世が創価のおかしさに気がついたこと
646 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/11/05(火) 07:40:12.28 ID:OzLsnhgp - 千葉・東北の対策本部が被災把握と激励に全力(2019年10月27日 更新)
https://www.sokanet.jp/topics/2019-10-27-15793.html 2019年10月25日、台風19号で大きな被害を受けた東日本の各地では、記録的な大雨に見舞われた。 千葉の災害対策本部(本部長=高木総千葉長)と東北の対策本部(本部長=盛島東北長)では、学会本部と連携を密にしながら、新たな被害状況の把握に努め、被災した方々の激励に全力を注ぐ。 高木総千葉長は26日、今回の大雨で特に被害の大きかった茂原市と長柄町へ。 小谷第2千葉総県長、茂原未来県の橋清広県長らと協力し、浸水などの被害に遭ったメンバー宅を一軒一軒、訪問して励ましを送った。 相変わらず口だけだな。 励ましなんて誰でも出来るんだよ。 励ましで、浸水被害が元に戻ったり停電が復旧するか? 創価の強みは会館が多いことだろ。 会館を被災者に提供しろよ。 それが家が水浸しになったり長期停電で困っている人に対する本当の同苦と慈悲だろ。
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647 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/11/05(火) 08:12:49.40 ID:OzLsnhgp - 創価は自らを世界宗教と名乗りながら、世間との垣根が以上に高い。
それは宗教施設や会合を見れば分かる。 宗教施設や会合の閉鎖性という点において、創価と顕正会は他の宗教を突き放して断トツで高い。 警備員や監視カメラの多さ、開館時以外は施錠。 許可された者以外の外部の人間の会館や会合への入場厳禁。 録音機材の持ち込み禁止、撮影禁止。 ご丁寧に手荷物検査をする厳重性。 このような厳重警戒は、企業の本社機能なら分からないこともない。 しかし、創価や顕彰は国民に奉仕しなければいけない税制優遇を受けている宗教法人の立場。 それが、外部の人間は徹底的に閉め出しだったり、信者でさえも制約を受ける。 これが世界宗教か? 何を隠しているんだ? 来る者を拒まなければいけないほど、やましいことがあるのか? 普段の会合の内容をありのままに公開出来ないというのは、聖教新聞や顕正新聞の内容と実際の会合の内容とは、全く別の内容だということだ。 それゆえに、聖教新聞や顕正新聞の内容は実際の宗教会合の内容を全く反映していない綺麗事ということになる。 創価や顕正の公式新聞と、実際の会合内容との大きな隔絶。 創価や顕正の内部行動と、世間との大きな隔絶。 世界宗教などとわざわざ強調しなければいけない所以は、カルト宗教と世間との垣根の高さに目を向けさせないようにするため。
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650 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/11/05(火) 11:08:31.90 ID:OzLsnhgp - 創価や顕正の会館や会合の閉鎖性が典型だけど、創価や顕正の通底に流れていると感じるのは「私達は正しい、それゆえに何をやっても許される」という精神性。
創価や顕正会員は「自分達は正しいから勝たなきゃいけない」と思ってる。 正しいから勝たなきゃいけないんだったら、負けは許されない。 そのような思考は、勝つためにはなりふり構わずなんでもしなきゃいけないという強迫観念を作り上げる。 このような強迫観念に支配されると、勝つ為、敵に負けない為の行動が全てに最優先される。 そうすると、勝つため、負けないためには手段を選んでなどいられない。 もし正義が勝つためには非合法な手段を選択しなければいけなくても、それが勝利に導くこであれば非合法活動も許されるという感覚。 創価や顕正がやってる宗教の本分を誤解した、成果最優先や敵を叩きのめすための組織活動や会合がその最たるもの。 このような攻撃スタイルを貫くなら貫けばいいと思う。しかし、創価や顕正のズルいところはこれらの攻撃性に満ちた活動を世間から隠すところ。 正義が勝つためという純粋な心なら、隠すことはなく堂々と周囲に宣言して活動すればいい。 しかし、創価や顕正は自分達の行動を隠す。 これって、自分達の手段を選ばない勝つための行動は、社会に迷惑を欠けたり反感を買っているという自覚があるから。 ここが一番たちが悪い。 社会に迷惑をかけているという罪悪感という自覚を、自分達の活動を隠すことで無いことにしてしまう。 罪悪感という人間の心にまで隠蔽を施す。 これは、人間の良心をあえて覆い隠して良心を殺す行為。
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651 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/11/05(火) 11:13:30.64 ID:OzLsnhgp - 個人的には、この創価や顕正の行動形態は関東軍が日中戦争以降、中国でやっていたアヘン売買や731部隊の人体実験を連想させる。
日本が中国に勝つためには、アヘンで中国国民の人間性を奪っても、中国国民を殺しても許される。 しかし、関東軍は内心これらの行動は人間性に反するものだと分かっていた。 この罪悪感という良心が沸き起こらないようにするためには、徹底的に自分達の行動の隠蔽した。 そして、自分達の良心にも蓋をする。 勝つためには手段を選んでなどいられないんだと。 これらは自分の人間性を正義という大義名分、別名悪魔に売り渡す行為。 創価や顕正は、自分達の会館に閉鎖を施し、会合内容の流出を徹底的に防御する。 創価や顕正はこれらの世間から隔絶した閉鎖空間内で、学会正義や顕正正義という大義名分を遂行する為には手段を選ばず行動できる非人間ロボットを、せっせと育成している。
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653 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/11/05(火) 13:06:31.72 ID:OzLsnhgp - 仏教の仏ってのは、本来正義も悪もなくて、純粋に命そのものの平等性とか普遍性とか無常性とか空性とか包括性とか、とにかく言い表せない命の不可思議さだったり偉大さだったり深淵さだったりの表現だと思う。
ただ、仏教の仏に正義という概念が色濃く持ち込まれると、特殊な形態を帯びるようになる。 仏の性質に正義が持ち込まれると、人間の意識を本来心の内である奥底に向かわせる仏教が、内に向かわずに外的な物事にしか向かないようになる。 その結果、仏と正義の融合という歪んだ組み合わせは、必然的に極めて外的活動的な人間や世直し団体を作り上げる。 創価しかり顕正会しかり親鸞会しかり。 これらの世直し仏教団体は、仏教だから良心を大切にはするんだけど、心が外に向かうゆえにその良心がかなり変形する。 ・自分の宗教を無理矢理にでも、嫌がる相手に勧誘してあげるのが良心。 ・もし相手が間違った宗教を信じていたら、それを糺してあげるのが良心 ・悪の存在は滅ぼすことが良心。 正義の観点からは、これらの暴力性は良心と解釈できるかもしれない。 しかし、正義や悪なんてものは人間の主観的なご都合解釈。 正義の恣意性を知れば、正義を騙った良心とは、外的事象を自分の理想形に作り変えたいという、征服願望を満たすための自己満足オナニーだったことが分かる ただ、一旦正義にはまると、心が内に向かわずに外側にしか向かわないからそれに気がつけない。 心が世直しや破邪顕正や法戦といった外的事象にしか向かわないなら、本人に悪気はなくても心は内に向かうことは不可能。 それゆえに、良心は外に向いたままで外的暴走は止まることがない。 カルト宗教にとって、この信者の良心の外的暴走が組織の推進力。 それゆえにカルト宗教にとって、信者の意識が心の内に向かい、自己の良心と向き合ってしまうことが一番まずい。 それゆえにカルトは、常に外側に敵や悪を作り上げて、信者の良心が心の内に向くことを防止する。 そして、常に正義と悪の闘争を焚き付けて、信者の良心が外側に向かい続けることを怠らない。
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657 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2019/11/05(火) 18:41:41.62 ID:OzLsnhgp - >>655
学会員が創価をやめるキーポイントは私にも分かりません。 分かっていることは、学会員は創価をやめてさえも、正義と悪の闘争を継続してしまいがちという点くらいです。 個人的には、会員にしても退会者にしても、幸福感が一番だと思っています。 各人それぞれ信念や段階や幸福観念があり、自分の考えは押し付けたくない。 各人のそれぞれの心理状態に見合った宗教や思想や考え方しか、人間は受け取れないように出来ていますから。 自分は創価を批判はしていますが、創価を必要とする人がいるから、創価の存在を全否定はしないという立場です。 創価やなんとか思想はあくまでも外面的なもの。 本人の傾向が、創価やなんとか思想という外的枠組みを求めるように出来ているのなら仕方がない。 本人にとって自分の傾向にあった生き方をするのが人間何よりも幸福。 ただ、考え方ってのは一生同じではないので、もし創価に違和感を感じ始める人がいるならば、その違和感に応じるであろう新たな思考に変化するための考え方は提供したいという態度です。 特に、せっかく創価をやめても善悪闘争思考をやめられない人が殆どですから。 私もその一人でしたけど。 なので、私の書き込みは過去の自分をオーバーホールするというリハビリの一環でもあります。 このような人達の心が、あらゆる物事の闘争という外面事象にへばりついている自分の自覚を、創価学会を反面教師にして気づくことが出来れば、外面に依存しない新たな幸福の枠組みを得られるのではないかと。 そしてその幸福感は、自分の良心と向き合う傾向が強まれば強まるほど、外的物事への執着が必要ない心の深さに基盤を置くものになっていくと思います。
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