- 日蓮ってver.49
817 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/09/07(土) 07:16:26.65 ID:oj2molJm - >>803
正法って何?
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- 日蓮ってver.49
827 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/09/07(土) 13:16:07.74 ID:oj2molJm - >>824
悟りってのは、そもそも登らなくてはならない山なんか無かったってことに気づくことじゃね? 困難とか、超えなくてはいけないハードルとか、悟らなければいけないとか、それらは人間の観念。 人間の観念が消えれば、努力しなければいけないとか、到達しなければいけないとか無いんだよ。 観念がなければ、全ては意味を持たないあるがまま、つまり空なんだから。 色(物質)と見えるのは事象の表面部分のみであり、色の実質は空(クウ)性。 空は捉えることの出来ないもので、全てを内包し全てを生み出す。 人間もその空と表裏一体。 しかし人間は空を見ず色にのみ注視し、色を支配しようとして生きる。 人間は色を支配するために、色を定義するための様々な観念を作る。 そして、その観念により色を現実と見せかけて、現実と思い込んで生きている。 これらの観念が消えれば、現実と見なしてた色という物体やルールや常識や学問や相対性は全て雲散霧消する。 色という観念でできた表面事象に囚われなくなれば、あらゆる境界や定義は消え、あらゆるものを生じさせるダイナミックな空を、自分が空自身として体験するようになる。 自分が空自身とは、全ては連関によりあるがままに生じており、自分はその一部でありながらその全て。 空が生じさせるあらゆるものは、あらゆる連関の総計により必然的に生じている。 色に囚われていると、起こることに偶然や善悪を見いだす。 しかし、空自身は価値判断を行わない。 なぜなら空に意味など無いから。 よって、空自身から見ると起こることや物事に偶然や善悪はない。 しかし、色の観点からは善や悪や偶然がある。 空自身にしてみれば、それらの善悪は人間の意思が空に勝手に自己都合の価値付けをし合っているだけ。 その価値付け行為が、空から色という物象化を生じさせる。 そして、価値の違いによる色どうしの対立を作り出す。 登る山など無い。 山という事象は、人間の山という観念が空(クウ)に投射されたことにより生じた架空の概念存在。
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830 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/09/07(土) 14:04:31.89 ID:oj2molJm - >>829
あなたのとって山本は何ですか? 山を山たらしめる根拠は何ですか?
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831 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2019/09/07(土) 14:04:58.35 ID:oj2molJm - 山本は→山とは
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