- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと84
298 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/27(火) 07:59:25.23 ID:MWJidy4s - 創価学会に関する議論は、どうしても2項対立になってしまうね。
創価は正しいか間違っているか。 創価は気持ち悪いか素晴らしいか。 創価は詐欺か平和団体か。 功徳があるかないか。 本尊は偽か本物か。 慈悲か迷惑か。 このあらゆる価値観の二元化こそ、創価学会らしさであり、創価アンチを引き付ける理由であり、布教の熱意、あるいは攻撃性に発展する根源だと思う。 仏教ってのは、本来価値観の確定を嫌う思想なんだよね。 世の事象は無常であったり空であるんだから、真実と確定出来るものなんてありやしない。 なにかを真実と確定した途端、それは無常の法則により変化し、元の形は崩れ、真実とされた概念は空虚な観念となり形骸化する。 釈迦の言ったことは、世の中なーんにも確実なものはないよ、だから確定した個人なんてのもない。 全ては全体生命の戯れでしかない、ということになる。 この全体の戯れを限定的な見方で見ると、全体生命の断片をさも個として見誤る。 その結果、固有物や個人が現れたり存続するように見える。 己をこの個人に限定すると、本来仏である自分が個人に成りきってしまう。 それゆえに個人から抜け出せなくなる。 宗教の本来の目的っていうのは、この己は個人であるという見方、つまり勘違いから解放すること。 個人なんて幻想だったんだ、世界とは個人という幻想を維持するために個人意識が集合的に現出させた箱庭(夢)に過ぎなかったんだと気づかせること。 でも、個人は宗教に抵抗する。 個という幻想に気づかれると、個人は消えてしまうから。 この個人という幻想は、自我やエゴとして持続を望む性質を持つ。
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299 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/27(火) 08:16:45.80 ID:MWJidy4s - 本来全体生命である個という一時的な結晶は、自己の存続を維持しようとする。
それが肉体への執着。 なぜなら肉体と同化していれば、無常の法則内にあっても個としての結晶を維持できると勘違いできるから。 人類のあらゆる誤りはここから発生する。 「自分は個人であり、それゆえに個を維持することが人間の使命である」 という硬い思い込み。 釈迦の説いた空や無常は何処へやら。 人間は自分を個から全体へと解放する空や無常から逃げ延びるために、空や無常への防御手段を張り巡らせる。 個人が開発した、その最も有効な防御手段であり最も優れた発明が二元性。 世の中は、悪と正義の戦いだ。 あらゆる宗教は、神話を神と悪魔の戦いとして形作ってきた。 その根拠の実際とは、全体生命が肉体と同化した個人という人間現象を脅かすものへの抵抗。 人間の発展を脅かすものを絶対悪と位置付ければ、自分の個としての存続を維持できると自我やエゴは思い込んだ。 しかし実際は、これは己を個として維持したいという自我の戦略。 無や空や無常という、個を崩壊させる全体生命(仏や実存)への抵抗。 自分の本来の源である全体生命は空であり無常であり、あらゆるものを包括し、個を無に帰してしまう。 自我にとっては、本来の自分の源である全体生命あるいは仏は、個としての自分を消し去ってしまう敵なのだ。
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300 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/27(火) 08:36:34.62 ID:MWJidy4s - これにより苦しみが発生する。
本来無限な生命が肉体に限定される。 そうすると、本来無限な自由闊達な生命が肉体の法則に縛り付けられてしまう。 肉体の法則とは生老病死。 自我は、自分の個としての存在を維持する目的で肉体と同化した。 その見返りというか、その反面、肉体の法則とも同化せざるを得なくなった。 そして、自我は生老病死という現象に絶えず支配されるようになる。 自我は、生老病死という苦しみから逃れたい。 しかし、生老病死から逃れるために肉体から離れると、全体生命へと帰して個人という結晶が失われてしまう。 苦しみから逃れて、それでいて個人を維持するにはそうしたらいいのだろう? この自我の悩みの答えと解決策が「世のあらゆる事象の二元化」。 正と邪を境とした対立体系。 自我は、個人性という人間を維持するものを正義とし、個人性という人間の維持を妨げるもの(生老病死)を邪とした。 こうすれば、全体生命への帰一から逃れ、生老病死からも逃げられると自我は考えた。 あらゆるもの二元化とは、自我の戦略。 全体生命や生老病死から逃避し続けて、人間という生命の個人化現象を維持し続けようとする自我の根本性質。 創価やあらゆるカルトは、仏教の根本性質をねじ曲げて、教義の主軸に二元対立を持ち込む。 そうすることにより、自我は益々個人としての己の興隆を成し遂げることが出来る。
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302 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/27(火) 08:56:59.96 ID:MWJidy4s - しかし、自我のこの二元化戦略は絶対に上手くいかない。
自我は自分を正義と位置付けて、全体生命や生老病死に抵抗しようとする。 無常や空は誤りだ、南無妙法蓮華経を信じないものは頭破作七分、信じれば福過十号、宇宙には無常や空を超えた南無妙法蓮華経や南無阿弥陀仏やオームの宇宙の法則があるんだ。 生老病死を克服するには魔と戦え、病気は魔だ、老いは魔だ、死は魔だ、南無妙法蓮華経を唱えれば宿命転換できて魔に打ち勝つことが出来る。 個人の維持とは、闘争と苦しみを免れることは出来ない。 なぜなら、個人とは肉体という永遠の一体化。 肉体は生きるために、自己の存続を脅かすものを悪と位置付けて戦い続けなければならない。 創価、アンチ、国家、イデオロギー、二項対立を煽る者達。 これらは二元思考に埋没している人達。 それゆえに、それぞれの自我の正統性を維持し続けるために個人ごとに異なる正義を掲げて闘争し続ける。 こういった自我の二元対立を解消させる目的で釈迦やキリストは教えを説いた。 しかし、人類に本来の趣旨を理解されて受け入れられているられているとは言い難い。 しかし、この戦いはいずれ終結する。 自我は自分が生じさせる個としての苦しみにいずれは耐えられなくなる。 個としての苦しみからの解放の手段として、自我が生み出しているのが輪廻。 自我はこの輪廻を終結させたいと願うようになる。 自我は、自らを陥れた二元対立へ対峙せざるを得ない。 この対峙に真摯に向き合った人達が解脱を達成した人達。 この時を早めるか遅めるかはあなた次第。 耐え難い苦しみがあなたをそこに導く。
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303 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/27(火) 09:02:49.39 ID:MWJidy4s - × 個人とは肉体という永遠の一体化。
○ 個人とは肉体という非永遠との一体化。
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304 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/27(火) 09:14:34.13 ID:MWJidy4s - 二元対立の持続とは、生きる苦しみへの抵抗。
人間は、苦しみを生んでいるもの、つまり悪と戦えば安楽を得られると思い込んでいる。 しかしそれは逆。 二元対立を深めれば深めるほど、個として肉体との同一化が増す。 逆に言えば、あらゆる生命を包括する全体生命からより自分を分離させる行為。 苦しみとは逃げるべきものではない。 苦しみとは、自分の根源を知るきっかけを与えるもの。 なぜ自分は苦しみのか、なぜ自分は苦しみのから逃れようとするのか? この問いを、自分以外に求めてはならない。 自分以外に苦しみの原因を求めると、それは二項対立を生じさせる。 カルトやカルトアンチという二元対立への逃避。 自分の苦しみのを生んでいるのは実はあなただ。 苦しみの根本原因は、自分を個として維持したい肉体との同一化。 それゆえに、勝利という肉体の維持や成功と二項対立を正当化してくれる現世利益の創価などに喜んで従った。 二項対立の放棄、自我の放棄、南無妙法蓮華経といった裁きを与えてくれる依存対象の放棄、これが全体生命への誘い。
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