- 日蓮ってver.45
871 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/26(月) 13:42:38.84 ID:3yE9xSQf - 870さん
日蓮は『神国王御書』に、 頼朝と義時との御魂・御名・御姓をばかきつけて諸尊諸神をばかきつけて諸尊諸神等の御足の下にふませまい(進)らせていの(祈)りしかば(中略)ほろ(亡)び給ひけるやらむ。 と書き、『四条金吾許御文』には、 八幡大菩薩(中略)頼朝と義時とは臣下なれども其の頂きにはやどひ給ふ。正直なる故か。 と書いている。平家や朝廷は、邪法の害毒によって亡んだのにたいして、頼朝や義時は邪法による祈りはしなかったので八幡大菩薩の加護を受けて国主となることが出来たということだ。 それでは、頼朝は日蓮の言うように本当に邪法の祈りをしなかったのか?。答えは、「否」である。『吾妻鏡』には、頼朝決起の当日に、使者をだし三嶋神社に社参したとの記載がある。 8月17日 丁酉 快晴 三島社の神事なり。籐九郎盛長奉幣の御使いとして社参す http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/azuma/118008.html
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872 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/26(月) 13:47:57.63 ID:3yE9xSQf - また悪鬼乱入の鶴岡八幡で、謗法の僧らに祈祷をさせたりしている。
10月16日 乙未 武衛の御願として、鶴岡若宮に於いて長日勤行を始めらる。所謂法華・仁王・最勝王等、国家を鎮護する三部妙典、その他大般若経・観世音経・薬師経・寿命経等なり。 供僧これを奉仕す。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/azuma/118010.html
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873 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/26(月) 13:49:33.78 ID:3yE9xSQf - さらに、
8月29日 癸酉 御願成就の為、若宮並びに近国の寺社に於いて、大般若・仁王経等を転読せしむべきの旨仰せ下さる。 この内長日の御祈祷を致せしむべきの所々これ在り。鶴岡宮に於いては、兼日その式を定めらる。 伊豆・筥根両山に至りては、今これを仰せらる。注文は各々一紙彼の山に送り遣わさると。 昌寛これを奉行す。 御祈祷次第の事 毎月朔 大般若経一部 衆三十人 毎月朔 仁王講百座 衆十二人 長日 観音品 衆百人。毎日一人宛 四季 曼茶羅供 衆四人 右御祈祷注文件の如し 治承五年八月晦日 http://www5a.biglobe.ne.jp/~micro-8/toshio/azuma/118108.html
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874 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/11/26(月) 13:51:12.85 ID:3yE9xSQf - と、平家追討の願いを満足するために、謗法の僧らに命じて謗法の法会を修させている。
なお、鶴岡八幡宮社務所が作製した『鶴岡業書』によると、頼朝が祭祀を司せたのは、「真言宗系の僧侶(供僧)たち」とのことである。 また、『勝軍法事』に、 鎌倉大将頼朝兵乱合戦之時キ、大勝金剛ノ真言ヲ冑袖ノ下ニ金物ノ計(許)ニ之ヲ打タリケリ。(『東アジアの中の建長寺』/鎌倉における仏教史点描) とあることから、頼朝が法華だけでなく真言にも親しみ、謗法の邪師に修法させていたことが知れる。 こうしてみると頼朝は、「正直捨方便」の金言に背いた「不正直」であり、「不正直」である頼朝の頂きに八幡大菩薩がやどっていたとはいえない。 つまり、「正直」であるが故に八幡大菩薩が頂きにやどり、国主になることが出来たという日蓮の見解は間違っている。
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