- 【寸哲】シャーリー・プトラの寸哲
32 :名字の碧言[]:2018/08/23(木) 05:00:47.60 ID:Hoy+PN6X - 猛暑の日々において、遠方の友へ価値ある仏法を語る、共に祈る。
全ては他者の幸福の為の対話であり、これこそが法戦であり、広宣流布である。 私達は師匠の言葉と言霊に勇気づけられ、「対話」の重要性を改めて知る。 リーダーの話は明快かつ具体的にあるべきだ! ただこの「明快かつ具体的」という事を「性急なる一般化」という誤謬にしてしまっては それは「対話」では無くなってしまう。畢竟それは師匠への裏切り行為に等しい。 「私達の師匠はこう言っている」という一方的な押し付けでは既に「対話」では無い。 相手に合わせて、相手の気持ちを考えて「対話」をする人が菩薩なのである。 時として「対話」の相手が知性的であり、仏教に関する造詣があるインテリである事もある。 この時一方的な「原理主義的教義の押し付け」は友を自ら失いかねない。 たとえ相手が幅広く仏法を学んでいて(原始仏教から現在の新興宗教の認識)を持っていたとしても それをもってして「対話」の疎外と捉えてはいけない。 人間は誰しもこの世から消えるまで「心の成長」を続けるものであると師匠は語った。 性急に相手の意見を否定する事なく、相手の言葉を咀嚼する時間が必要であり、 また相手の言葉から学ぶ事も仏法なのである。 日蓮大聖人や永遠の師匠への帰依は疑う事なき、仏法への門である事は確かだ。 しかし、それを持ってして「日蓮大聖人や永遠の師匠」以外の人々の真摯なる言質を 「邪」とするのは「性急なる一般化」と「前提条件の誤謬」と「コンコルド効果」という 認知心理学的・行動心理学的な誤謬に堕ちる。 ここで「対話」を諦める人は信心の無い人である。 相手の理論や個人的経験を中心に据えた論理的見解を受け入れてこそ「対話」は成立する。 まだまだ残暑きびしきおり、頑張ろうでは無いか! 語るだけでなく、むしろ真剣に相手の言葉を「聞く事」が「対話だ!」と考え皆の幸福を祈る気持ちが私達の使命なのだ。
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