トップページ > 創価・公明 > 2018年08月20日 > IjP5qf3a

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ニサルガダッタ
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話

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鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
257 :ニサルガダッタ[]:2018/08/20(月) 03:51:15.50 ID:IjP5qf3a
たぶん私の書いていることは極論だと感じるのは当たり前で、その理由は、肉体の知覚機関や認識機関とは本来のありのままを知覚するのに極めて制限がある代物で、また意識の伝導に極めて時間がかかる劣った代物だから。

幽体離脱とか臨死体験でもすれば、言葉など必要でなく一発でこの感覚が分かるんですけどね。
肉体の鎖から離れれば、肉体の知覚・認識機関の制限から外れるので、時間を必要とせず、また空間という制限を受けずに相手が何を考えているか伝達し合えてしまう。
意識とはエネルギーだと考えると分かりやすいんですけどね。

こんなこといくら書いても肉体の制限下にあれば理解できる事ではないのでやめにします。
そんなことよりも、人生を考える上で、「じゃあなぜ人間は、肉体などという意識の伝達に制限がある乗り物にあえて憑依するのか?」という問いが重要です。

霊の意思伝達のスピードが光だとすれば
、肉体の知覚・認識機関の意思伝達のスピードはローカル線と言えばいいでしょうか。
人生とは、すでに起こっている、すでに生じている神の可能性一端を辿り直す旅路です。
こんなこと書くと頭おかしいと言われるでしょうが、以前書いたコンピューターゲームに似ています。
コンピューターゲームは、ゲームを始める前に、ゲームで生じるあらゆる内容が既にプログラミングがなされています。

ゲームプレイヤーは、キャラクターを使用してそのプログラミングの切れ端を辿って行きます。
時間のかかる作業ですね。
そのゲームの全プログラミングは、私はコンピューターは詳しくありませんがエンジニアにとってはゲームのキャラクターなど使用せずに解析出来てしまう。

でもゲームプレイヤーはそんなゲームのカンニングのようなことはしません。
ゲームキャラクターを使って、一つ一つの場面を時間をかけて、あらゆる展開を経験をする事をのぞみます。
ローカル列車の旅のように。

人生も同じです。肉体とはその為の乗り物です。
光の速さで通りすぎては経験できない場面を、肉体を使って、人生の困難のあらゆる機微をスローモーションで体験するための手段です。
なぜそんなお互いの意思伝達に時間がかかる、お互い誤解を生みやすい、食い違いやすい、理解を生みにくい苦しいことを人間は敢えてするのか?
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
258 :ニサルガダッタ[]:2018/08/20(月) 04:11:56.56 ID:IjP5qf3a
ここに答えがあります。

なぜ人間はコンピューターゲームなどという、クリアするのが困難で時間がかかることを敢えてするのか?
そして、なぜそのようなことに喜びを感じるのか?

人生の旅路とは、自分を知る旅路です。
神が、人間の共同意識が作り上げた宇宙史という旅路をお互い味わい楽しむために、肉体というローカル線を使って辿り直す旅路です。

人間関係も全て同じ。
人間関係で生じる喜怒哀楽は、以心伝心が出来てしまうと生じません。
喜怒哀楽とは、コミュニケーションに障害があって初めて生じます。
意思伝達に制限があってこそ、感情に様々な様相が生じます。
この様相を神、あるいはあなたは、相手という対象を使って表現し表現されようとようとしているのです。
自分を知り尽くすために。

苦しみとは、この旅路において肉体という乗り物に成りきり過ぎて、目先の物事にのみ執着してしまった結果生じます。
言い換えれば、ゲームプレイヤーがゲームをクリアできないキャラクターに成りきってしまっている状態。

旅路全体を見渡せれば少しは楽になると思います。


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