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名無しさん@お腹いっぱい。
ニサルガダッタ
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと78
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話

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【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと78
765 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 03:19:21.71 ID:Y2lfTp5Q
>>764
事実を書かれて自分の妄想を否定されるとキレるタイプなんだね。
他の集団ストーカー被害妄想者はもっと冷静だよ。

ある意味あなたはここに登場している集団ストーカー妄想被害者のなかでは、最も創価学会員の性格に近い。
創価学会員も、自分の正しさを否定されると創価スイッチというのが入るからね。
それと、敵の撲滅を願うのも創価学会員と同じ特徴。

いろんな人がいていいと思うけど、創価学会員のふり見て我がふり直せ。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと78
767 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 03:46:44.44 ID:Y2lfTp5Q
いろんな被害妄想や統合失調があるのは、このストレス社会ゆえに社会が原因とも言える。
罪を憎んで人を憎まず。

ただ、こういった傾向は増しているのかな?
過去にこのスレで集団ストーカー被害妄想はたまに見かけたけど、このように大挙に押し寄せてきたことは無かった。
この傾向は、被害妄想グループによる組織的な計画なのか? それとも統合失調の絶対数が増えたり症状が激しくなってきているのか?

まぁ、創価学会が敵視されやすい団体であることは確かだね。
善良な市民を邪宗や無明の輩扱いして、折伏対象として強引な勧誘したり、勧誘に従わなければ地獄に落ちると脅してきたのが創価学会だから。

市民にストレスを与えてきた創価学会が、主にストレスが発症の原因と言われる統合失調症患者から攻撃を受ける。
これは、ある意味因果応報かもしれない。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと78
783 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 07:33:02.93 ID:Y2lfTp5Q
>>777
統合失調症患者って、実は自分が現実から逃避していることを認識しているんだ。
でも、統合失調症患者なぜ被害者妄想に逃避し続けるか?
それは、自分の妄想に逃げている方が幸せだから。

創価学会員を見て、我がふり直せって言ったでしょ。
創価学会員も、池田先生は本当は病気じゃないか?認知症じゃないか?と認識している。
でも、学会員はなぜ池田先生はお元気だと信じ続けるか?
それは、創価学会が会員を騙していることを認めることは、自分の信念が破壊されることだから。

現実に戻るには、自分の妄想や信念が粉々に砕け散ることを受け入れる勇気。
頑張り屋の君なら出来る。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと78
789 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 13:36:06.42 ID:Y2lfTp5Q
2世3世の敵が、創価学会ではなく集団ストーカー被害妄想者連中になろうとは誰が予想しただろうか。

5ch以外の創価関連の掲示板て、創価シンパか創価アンチかという2極の傾向に凝り固まっている。
創価を誉めるか創価をけなすかしなければならず、思ったことを自由に発言できる思想の自由がない。
創価脳、あるいはアンチ脳が余計に凝り固まってしまう。

そんな中の救いが、思想統制の無い5chだったんだけどな。

このように、2世3世の自由発言の場を荒らして奪ってるんだよ。集団ストーカー被害妄想者連中諸君。
深く反省しなさい。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
59 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 15:03:47.68 ID:Y2lfTp5Q
>>56
じゃあ、ここで三世の生命について説明してみて。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
71 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 15:34:17.06 ID:Y2lfTp5Q
>>60
なんで聞いたかっていうと、時空というのは幻想だからだよ。
だから、時や空間というのは、さもあるように見えるだけで実際はない。
あるのは、今という瞬間のみ。

時や空間は、意識という心理現象が作り出す。
意識の記憶が過去であり、意識の予測が未来。
この過去や未来という距離と移動の概念が時間と空間を生じさせる。

その過去や未来を思うことは今しかできない。過去や未来は今にしか現れない。
座標軸の点は、全てが既にそこにある。
移動という概念が、ある座標点を過去と呼び、ある座標点を未来と呼ぶ。
点と点を分離として意識すると、移動に生じる時間と空間という概念が生じる。

だから、過去も未来も幻想。
全てが今。
だから、三世の生命というのは正確でなく、意識が作り出す過去や未来という幻想を事実と思い込んで初めて生じる概念。

なんでこんなことをいうかというと、三世の生命観という誤った時間の概念がが、宿命やら仏罰やら成仏何ていう出鱈目教義を作り出すから。

座標点は既にすべてそこにある。
あらゆる事象は既に起こっている。
人間は、既に生じている様々な人生をさも初めて経験するように錯覚して生きているだけ。
ある点を過去と位置付け、ある点を未来と位置付け、人間は時空を移動する。
時空を移動中にある経験を宿命として忌み嫌い、成仏を目指して正しさを求めて正しいとお申し付け座標点を目指して移動する。

でもね、あらゆる事象は、座標点は、全てが神や仏という包括生命に包まれている。
それは過去や未来といった時間を持たない、今。
それゆえに、人間は既に成仏している仏自身。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
72 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 15:50:15.26 ID:Y2lfTp5Q
人間は、そのままで時空を持たない神や仏自身。
しかし、そういった成仏している包括性ではなく、個人としての冒険を選択すると、神の子、あるいは仏性は、包括生命内の座標点に降りたって、人間という肉体を身に纏って、輪廻という冒険を始める。

この包括生命内における座標点と座標点の移動という個人経験を繰り返すと、人間は自分を本当に肉体だと思い込んで、神や仏であることを忘れてしまう。
これが六道輪廻。
人間は愚かなことに、六道輪廻から抜け出そうと誤りの元を探して、宿命などというありもしない概念を作り出す。
そして輪廻から抜け出すための、宿命を直そうとしたり正しい道を探そうとする。

これらは、無駄な足掻き。
あなたは元から仏や神という包括生命であって、人間という個人ではない。
それを思い出せばいいだけ。
過去も未来も正しいも宿命もない。
それらは、地球におけるさまざまな座標点という体験をリアル化してしまったせい。

生命に生じるあらゆる執着を見抜いてそれらを解放できれば、たちどころに解放される。
言い換えれば、元から自分は成仏していたことに気づく。
ただ、個人という冒険にはまってしまい、自分を個人と思い込むことにより、個人から抜け出せなくなっていたと気づく。

時や空間は幻想上の夢として霧散する。
あらゆるものは既にそこにあり、それらは全ては自分であった。
そして、生命はあらゆるものを生み出す可能性を持っり、あらゆる物質や個の生命の群れという多様性を生じさせるワンネスであった。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
86 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 20:05:42.41 ID:Y2lfTp5Q
創価学会、及びアンチ。
結局何も解決しないのは最初から分かりきったことという感じですね。

悩み苦しんでいる人たちは、救いを求めて宗教や正しさを主張する教えを求めます。
そして、相性が合ったり願いが叶えば救われたり真実と感じ、相性が合わなかったり結果がでなければインチキと感じる。

これらは実は、人生においては極めて表層的なことです。
人間は人生上において、成功したり幸せになるために何かを選択しつづけ、その都度生じる結果に喜怒哀楽の感情で翻弄され続けます。
創価学会は言うでしょう。
「創価学会や法華経を信じれば、何が起きても絶対幸福の境涯になれる」。

人生とはなんでしょうか?幸せとはなんでしょうか?
宗教はこれらを人類に説いてきました。
しかし、ほとんど成功していないといった方がいいでしょう。
不幸や争いは止みません。

そんななかで、悟りを開いた人たちは共通してあることを説きます。
「この世の出来事に執着するのはやめなさい」。
人類は、この言葉を軽視し、聞き流してきました。
そして宗教においてさえも、ご利益を唱え、信者に執着の元となる功徳や罰を与えてきました。

悟った人たちは気づいています。
「この世とは、人間の意識の投影だ」
「人間が自分の意識で作り上げたこの世という制限空間に執着すればするほど、人間はこの世を更にリアル化してしまう。」
「人間は自分が見ている夢の中で、楽しみ苦しみ、夢をリアルと思い込みすぎているせいで夢から抜け出せない」

夢の中で、正義や平和を求めて何になるのでしょう。
夢への執着をやめれば、それが夢だったことに気づきます。
その為に宗教は、瞑想やヨガや呼吸法や座禅など、夢から覚めて悟りに導く方法を編み出してきました。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
88 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 20:24:46.32 ID:Y2lfTp5Q
しかし、この世は快楽にまみれ、人間は快楽を欲し、また快楽の魔力から逃れようともがいています。
その大本は、人間による肉体への自己同一化。
なぜなら、肉体は欲を満たさないと生存を維持できないからです。

良心的な宗教は、この肉体への執着を戒めて、肉体からの魂の解放を呼び掛けてきました。
それが、人間がこの世という夢から醒めることでもあります。

現代の宗教は、人間を肉体と同一視します。
ご利益をもらえ、たくさん寄付しろ、信じなければ罰が当たる、勝利しなさい、平和のために活動しなさい。
全て、肉体における成功による幸福の為です。

これらの、人間の身体への自己同一化をはかる典型的な宗教が、現世利益を掲げ、あらゆる勝負を好み、常勝を至上命題とする創価学会です。

創価学会の、広宣流布という創価学会を絶対正義としたユートピア形成は成功するでしょうか?
創価学会を信じる人間の数が多ければ多いほど世界が平和になるという思想です。
つまり、肉体的な人間を根本として扱う行為です。

人間の自我は、誇大になればなるほど栄華を誇りますが、結局はその増大が自分の身を滅ぼします。
栄華という自我の夢は幻だったのだと。

創価学会の勝利や正義の戦いと増殖。
物質的な勝利を目指す宗教の増殖の結果の先に、人類は何が大切かを学び、原点にたち戻るような気がします。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
91 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 20:49:46.90 ID:Y2lfTp5Q
>>87
哲学はお好きですか?
私はあまり詳しくはありませんが一通り勉強はしました。

その後、スピリチュアル、輪廻転生・臨死体験、悟りに関するあらゆるもの、ヨガ、瞑想等にはまりました。
全て、創価時代に学んだ善悪二元論という人を裁く思想を払拭する為です。

今しっくり来るのは「ノンデュアリティ」という思想です。
これは「この世に二つは無い」という思想で、東洋では梵我一如で言い表せます。
このノンデュアリティが、主に欧米で人間の分離感覚を根本的に癒す思想として広がりつつあります。
つまり、妥協なく人間の個人性という幻想を暴いて、人間を生命の源に帰りつかせる、古代の正賢の教えが現代流に甦ったものです。
これは、特定の宗教やカルトではありません。

恐らく、宗教に頼らずに悟ってしまう人が沢山いるんだと感心してもらえると思います。
個人的におすすめです。

YouTube上にノンデュアリティティーチャーによる動画が沢山あるので、気に入ってもらえればアクセス数が多いものを見ていただくことをお薦めします。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
99 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 21:31:31.52 ID:Y2lfTp5Q
>>93
ご回答ありがとうございます。
私は創価学会は嫌いですが、創価学会で本気で苦しんだことがあればある人ほど、大切なことに気づけると思っています。

自分が学会員時代は、「正義」という考え方に苦しみました。
素晴らしいものとして学会正義を追い求めましたが、その正義が会員を苦しめる場合がある。
学会正義から外れていると見なされている部員は、不信心の烙印を押されてしまうのです。
また、学会正義の名の元に、外に敵をあえて作って攻撃を正当化します。選挙における公明党の戦いがその典型です。

結局それらは、自分の自我が望んでいることだと気づきました。
自分の自我が「正義」「優れている」「仏意仏勅」「地湧菩薩」といった、自己の確実性や優秀性を求めているんだと。
それ以来は、自分の自我とは何か的な思案に耽り、創価をやめ、何が正しいのか、何が真実なのかゼロから学び直しという感じです。
哲学を勉強したのもその一貫です。

結局、自分を一時的に楽しませたり苦しませるのは自我。
自我が理想とする目標を定め、自我が優劣などの様々な価値観を作り上げます。
自我が作り上げた内的価値観の元に、我々はその価値観の通り生きようと翻弄されて生きています。

でも、自我の価値観は絶対ではないですね。
創価学会とは、自我が参考にしたがる価値観作りの名人です。
「価値を創造する学会」というのが宗教団体の名前くらいですから。

この、自分を翻弄する自我をどうやって放棄したらいいだろうか?
これが私の命題となりました。
この探求が私を成長させました。
つまり、自分の自我と妥協なく向き合うという場を作れたからです。
これは、自分の苦しみの元である自我に気づかせてくれた創価学会のお陰だと思っています。
会員の自我を喜ばせて会員を操縦する創価学会の姿を反面教師としてですが。

自我の終焉。
これが本当の自分の発見へと導き、避けられない幸せをもたらすものと考えていいます。
私の敬愛するクリシュナムルティの著作名でもあります。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
102 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 22:17:37.45 ID:Y2lfTp5Q
>>100
これはあくまで私の分析に過ぎませんが、「なぜ自我という感覚が生じるのか?」。
この答えは、私たちは自分を個人と思い込んでいるからだと思っています。

私を個人と思い込むのは当たり前だろう!と怒られてしまいそうですが、当たり前ではないと思っています。
私達は個人ではない。生命というのは一繋がり。
なんでそんなことが分かるんだと聞かれても答えようがありませんが、とにかく我々が自分を肉体だと信じ込むと同時に自我が発生するというのが私の推測です。

私は、生命というのはただあるがままの「存在」だと思っています。
時間もなく、空間もなく、分離もなく、ただ魂を生じさせる可能性として存在している。
これをヨガではプラクリティ(根本原質)と呼びます。
この根本原質が活動を始めると、様々な揺らぎが生じ、プラクリティの変室体として無数の魂が生じ、同時に魂を宿す肉体と、肉体を維持する自我が同時に発生すると説明しています。

いろんな宇宙創造理論がありますが、私はこのヨガの宇宙創造理論とA Course in Miraclesの宇宙創造理論がしっくり来ます。
つまり、自我とは元からあったものではなく、肉体の発生に伴う必要付属物です。

この自我は、魂の乗り物としての肉体を維持する指南役ですが、魂がプラクリティに戻ろうとすると邪魔になります。
なぜなら魂がプラクリティに戻るには、自我という個人性を消去しなければいけなくなるからです。

この流れは、漫画にもなっています。
「この宇宙は夢なんだ 解き明かされる生存の秘密 | アレクサンダー・マルシャーン」
この漫画が、自我の発生と役割について、面白く分かりやすく解説しています。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
111 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 22:47:32.28 ID:Y2lfTp5Q
>>104
実は自我って存在しないんですよ。
自我とは、自分を個人と思い込むことから生じる「自分は個人と信じ込む思い違い」。
自我とは幽霊みたいなもんです。
信じれば存在するし、信じることをやめれば消えます。
私の表現が悪かったのですが、自我は消去するのではなく、正しくは「自我は元々存在しなかった」ことに気づくことが正解です。

それから大きな存在も無いです。
なぜなら生命は一つだから。
生命が一つなら大きいも小さいもない。
ただ、自分を無数なちっぽけな生命と思い込む誤解から、大きな生命や小さな生命という概念を生じさせます。
我々の本質は大海のようなものです。
大海の表面には波頭が生じます。
そして、無数の波の飛沫が発生します。
個人というのは、波の飛沫のようなものです。
一時的には分離した波や泡に見えますが、海に戻れば大海と一つになります。
飛沫が発生したときにのみ、一時的に泡は大海から分離しているように見えます。
これが、人間で例えれば個人です。
自我とは泡のようなものです。
一時的に分離に見える錯覚です。
そして、死ねばまた生命に復帰する。
人間は死にたくても死ねません。
なぜなら一度も生まれていないからです。

生まれたということさえ勘違い。
なぜならその勘違いは、自分を分離した波や泡だと信じ込む思い込みだから。
何も生まれてはいない、何も死んではいない。
ただ、変化しているだけ。
あるのは、神、あるいは仏、あるいはプラクリティという常住。
それらは私自身。
私もない、創価もない、地球もない、宇宙もない。
これらは分離という幻想の営み。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
113 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 22:54:01.68 ID:Y2lfTp5Q
私もない→個人としての私もない
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
122 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 23:29:23.96 ID:Y2lfTp5Q
>>116
幻想だと分かると、ただあるがままです。物事はあるがままに起こっている。
波のように。
そして、私はたゆとう波であり大海であり、私は現象の一部であり現象の全体。
自分に出来ることはなにもない。
今まで自分でしてきたと思っていたことは、実際は全体の動きの一部だった。
実際は自分は何もせず、ただ自分に物事が起こっていた。
この物事の想起を、自分は自分の意思で行っていると勘違いしているだけだった。
全てはオートメーション。波の動きを誰もコントロール出来ないように。
自分は波で、自分で波を起こしていると思い込んでいた。
しかし実際は自分は大海で、波の動きは大海の動きと一心同体で繋がっていた。
個人としての私はいない。
どこにもいない。
だから、誰も何もしていない。
ただ物事は起こっている。
誰かが動いているように見える、自分が何かしているように思える。
それらは大海全ての動きであり、私は大海を司る器。
器は大海で満たされる。
器があるから、大海は個人という私を認識出来、大海は無数の個人という経験を積むことができる。
人間は、神や仏の認識機関。
人間がいるから、神や仏は個人を経験できる。
人間は、神や仏の器として、神や仏の意思の通りに生きている。
全ては必然。
例えどんな悲惨なことでも全ては必然。
それらは波と波の縁起により生じている。
どんな動きにも逆らうことは出来ない。
起こることは起こるべくして起こる。
物事に原因はない。
ただ、なぜ悲惨なことや争いが生じるのか?
それは、自分を個人と勘違いしたことから生じた様々な因果。
因果は仏や神に復帰すれば祝福となる。
因果とは、人間を仏や神への復帰を促す全体への希求へ導く理法。
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
123 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/13(月) 23:37:47.16 ID:Y2lfTp5Q
注)
自分を個人と見なせば原因はあり、原因は自分個人
自分を大海と見なせば原因はない、あるいは全てが原因
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
125 :ニサルガダッタ[]:2018/08/13(月) 23:56:15.35 ID:Y2lfTp5Q
>>124
喜びや愛は感情の波と言えばいいでしょうか。
感情は自然に生じるし個人の自由で、そこに私が立ち入るようなものは何もありません。

ただ、個人を発祥元にした愛や喜びは相対的にならざるを得ないものだと思います。
相対性に基づく愛や喜びとは、苦しみの谷間にすぎません。
また、いわゆる肉体を元にした愛や喜びは肉体に付随したものであって、肉体における条件や環境に支配されます。
また、個人の感情に支配される主観的な性格も有します。
それを感じたければ自然に感じればいいのではないでしょうか?
自分を裁く必要はないと思います。
特に人間は、快楽を感じることに罪悪感を感じがちですね。

私は悟っているわけではないので、絶対的な愛は知りません。
でも、なんとなく感じることはあります。
自分の言葉で語れるほど身に付いてはいません。

他人の書籍に頼らざるを得ません。

この本の中に、相対性や肉体や主観を越えた、絶対的な愛や喜びを感じとる方法が紹介されています。
この人は悟脱を得ている方です。
YouTubeにも動画がアップされています。
ノンデュアリティティーチャーの一人です。

「ポケットの中のダイヤモンド―あなたの真の輝きを発見する | ガンガジ」
鯛焼きブログシニフィエさんとの対話
126 :ニサルガダッタ[]:2018/08/13(月) 23:58:12.88 ID:Y2lfTp5Q
今後も書き込むかもしれないので名前を名乗ることにしました。

私の精神的師匠であるニサルガダッタマハラジから拝借します。


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