- 聖教新聞 辞めた人 [転載禁止]©2ch.net
194 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 01:23:07.44 ID:WvEx9eaj - >>193 それが信仰を持つ人達の間違いなんだ。仏法というのはね、ただ
無常・無我・空・縁起 だけなんだよ。 このゴータマの哲学的教理を理解するのが難しいから大乗仏教も小乗仏教も原始仏教も 多くの方便と譬え話で人々を導いて来た。 宗派や宗教団体の対立というのは仏法から外れてるんだよ。空を理解してから縁起を理解出来る人もいるだろうが 縁起を理解出来なければ空を理解出来ない人もいるんだ。 数年前チベット密教ゲルク派のダライ・ラマ14世が「来世は金髪おてんば娘に生まれ変わる!」と宣言し世界は驚いた。 パドマサンババやツォンカパ以降、チベット密教は輪廻転生とダライ・ラマの霊的世襲制を謳う仏教であったが しかしチベット密教僧は誰もダライ・ラマ14世のこの発言に異論を呈さなかった。 彼等も輪廻や転生という物は、人々を導く方便だという事を知っていたんだ。 大切なのは宗派間の戦いでは無く、無常・無我・空・縁起を悟り、全ての人々が幸せになる事を願うのが仏法であり その悟りを他者に促す事が広宣流布なのだ。 別に創価学会だけじゃ無くても良い。日蓮正宗だろうが長老派であろうが説一切有部であろうが ウパニシャッドであろうがメソジストであろうが東方正教会であろうがJWであろうがテーラワーダでもOSHOでも 皆の幸福を願う人達は必ずいる。 何の違いも無い。 違いが有るとすれば 「そこへたどり着く」までの時間が早いか遅いかだけである。
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- 日蓮って ver.44
604 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 11:52:22.05 ID:WvEx9eaj - >>603
エゼキエル書だけで無く、ジェネシスのヤコブの梯子やイエスの処刑 (イエスの磔は手のひらに釘を刺したのか?それとも手首か?それともロープを巻かれて吊るされたのか未だに解釈は分かれている) 4福音書やパウロ書簡に置いても字面を馬鹿正直に解釈して読む事は出来ない。 旧約であれ、グーテンベルグ聖書であれ、新約聖書であれ。字面に引っ張られては誰も読めない書物である。 これは瀧ノ口においての不思議な光伝説においてもそうである。 不思議な光について馬鹿正直に日蓮大聖人の偉大なる徳の高さと解釈する人も居れば。 國學院大学、東京大学、首都大学東京(旧・都立大学)、神宮皇学館の研究者達の仮説は様々である。 ・日蓮シンパの富裕層達が多額の賄賂を用意した説 ・武蔵七党のケツ持ち説 ・金吾の迷子説 ・佐渡流罪執行前の謝罪の勧告説、司法取引説 (謝罪の意を確認出来れば鎌倉幕府への組織批判、国家転覆を企てる不逞の輩という罪状を帳消しにするという、言わば司法取引説) などなど色々な見解が出てくる。 一例として書いておく。創価学会員には変な人が多いとは良く聞かれる批判ではあるが 創価学会≠ある特定の創価学会員 ではあるし、その変な人を良く観察すると御書原理主義者、聖教・大百原理主義者では無いか?と気付いた事はありませんか? これはどの信仰を中心にした集団至上主義において散見される問題である。 別に普遍性や合理性を無視して信仰している人達が悪いとは全然思わないが 一度、真面目に分析しようとする主体が現れた時、その観察と観測の目は知性的で冷徹な眼差しで無ければならない。 以前、アーミッシュの方々を取材に行った。愛に溢れた善き人達ばかりだった。善き人達ばかりだと私には見えた。 ただ、一つ気になったのは、男の子の名前は全員「エゼキエル」であった。 私の言っている事が読めますか?もし何を言っているのか分からないなら、貴方も法華経や御書を読み解けない人だ。 そして、最後に強調させて言わせてもらいたいのが、法華経や御書を身勝手に解釈したとしても、それがその人の幸福に繋がるのなら誰も批難してはいけないのだと。
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- 日蓮って ver.44
605 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 12:14:42.34 ID:WvEx9eaj - アーミッシュで思い出したが、同じ様な話があった。
ユタ州とコロラド州へ取材に行った時に(それぞれ別の社会学的フィールドワークとして) ユタ州と言えば末日聖徒イエス・キリスト教会(日本ではモルモン教と呼ばれる。パックンマックンのパトリック氏やケント・ギルバート氏などが日本では有名な信者) の方々にたくさんお会いして話を聞かせていただいた。 彼等の多くがジェセフ・スミス(立宗の教祖)を否定し、モルモン書を単なるメタファーとして読んでいるのだ。 自分が所属する宗教の開祖・教祖を否定したまま信仰を持っていたのだった。 (ベンサムの功利主義からマイケル・サンデルの共同体としての正義を持ち出し説明は出来るのだが論題がズレるので辞めておく) 強引に例えると、日蓮大聖人を否定しながら学会活動をしている学会員なのだ。 「信仰」の意味と個人の信条を改めて考えさせられる旅であった。
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- 創価「学会」員の特長 26
10 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/08/10(金) 13:31:20.50 ID:WvEx9eaj - >見て見ぬふりだよ、君は決してかかわってはいけないよ。
示唆に富む文章だね。 個人的な信条の問題だから「見て見ぬふり」は個人に任せるとして かかわるか? かかわらないか? は 複雑な問題だと思うよ。 私ならこう言う。 「関わるなら、それ相当の理論武装した実存を持て」と このスレの文脈から推測するに 何ら確固たる信条を持たず、他者にも自身にも説明出来ず、雰囲気に飲まれ社会学的な分析もせず 承認欲求と自己実現の体現に真っ先に心を乗っ取られた信者の白熱した折伏に気圧され その名状し難い特殊な環境と臨場感に自分が飲み込まれてしまい 後になってから、「本当に自分は自分としてあり得たのか?」と 後悔する人達の事を言っているのだと思うが。 若くて体力もあり、まだ認知に関して不全など無いような人でさえ 毎年、架空請求や特殊詐欺の被害者は増え続けている。 その様な人は、少なくとも関わらない方が良いとは言える。 私はさる幹部から 「君は創価学会を批判する為に創価学会員であり続けるのか?」と皮肉を言われた事がある。 少なくとも、その幹部は私の主体性の存在だけは認めてくれているのだと良い方に私は解釈した。
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197 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 14:31:30.24 ID:WvEx9eaj - >>196
そうだね一般的には生まれた時から創価学会員で現在も創価学会員だよ。でもね多くの人達から批判され続けて生きてきた。 その批判は外部の人は元より、学会内部の人達からからも何のかんの言われながら生きてきたよ。 私の様に生まれた時から3世として学会員だった人間は、実は無信仰と同値なのでは?って考える人もいるんだよ。 学会内において色々な物を見、色々な人々と関わってきた。 洗脳されてる訳では無いので、そこは客観的に観察してきたよ。 創価学会自体に善い・悪いという対立概念は存在しない事を学んだ。 創価学会について誰かが語る時、それはその人の心の中にある創価学会について語っているんだ。 しかも、それらは他者が否定すべきものでは無い。その人にとって真実なら、それはそのような在りようとして認めてあげなければならない。 自分にとっては下らない話なのだが、子供の頃鳥居をくぐったと言っては叱られ、友人と教会の日曜学校に行ったと言っては叱られ 子供ながらに「なかなか生きにくい生活環境だな」と疑義を持った。 ある日、マルクスの「資本論」を始めレーニンやローザルクセンブルクの本を読んでいた。当然父に怒られた。 しかし、その頃には何故それがいけない事なのか?対話を切望しますと父に訴えた。 父は何も語らず困った顔をしたまま30分間沈黙して座っていた。実は父は(決して自慢では無いが)一流大学を出たソコソコのインテリである。 父は当然、仏教は元よりキリスト教もイスラム教もマルクスもポスト構造主義も十分理解している知性を持っている。 この「沈黙」はそんな父の表象した「解」であった。 父は最後に「学生としての社会的パラダイム」と「社会人としてのパラダイム」は違う物だ。 「わたしが、今おまえに語れるのはそれだけだ」と 敗北とも勝利とも言えない言葉を残して去っていった。
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198 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 14:47:11.59 ID:WvEx9eaj - 聖教新聞と関係ない書き込みだ!と観客席(レス)から野次が飛んだ。
しかし、本当に関係ない話だろうか? 創価学会は「対話」を大切にする団体である。その「対話」は膝を突き合わせる対話から電話や手紙 更に、聖教新聞を読む、大白蓮華を読み事さえ「対話」だと私は思っている。 私がどこかのスレで仏法に対する私見を呈した、それに対して「シャリ自演!乙!」と言われた。 そのシャリ氏がどこの誰かはわからないが文脈を補間出来るように私は「シャーリー・プトラ」を名乗った 後に他スレで元シャリ氏との差別化の記号として別の名を名乗るべきだという意見を肯い 「The Man Formerly Known as SARIPUTRA」という名前でいい加減な書き込みをさせてもらった。 私の語る言葉は他者の書き込み同様、空疎な記号性しか無い。それが悪い事だろうか? あれだけ「対話」を重視する創価学会員が本来の「対話」をしているところを見た人はいるだろうか? 「対話」と言いながらも強引な折伏や人迷惑な選挙のお願いしかしていないんじゃ無いか?と感じた人は多い筈である。 最後の頼みは聖教新聞、潮、第三文明などの責任編集されているであろう機関紙の文言である。 創価学会をウォッチングしてきた学会員も外部のウォッチャーも(東哲の一部は例外としても)それらの中には「対話」の不全しか観察出来無い。 5ちゃんねるであれ、学会機関紙であれ、「本来の対話」に出会える人はいなかった筈である。
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199 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 15:07:21.50 ID:WvEx9eaj - 私は組織批判もしないし、システムとしての機能不全を攻撃する事も無い。これからも祖父が昭和の生きづらい社会情勢の中
助けてもらった創価学会の学会員であり続ける。それは祖父への尊敬の念が別な形として結実しているのかもしれない。 多くの人が創価学会に関わって大きな人生の損失を被った!と不満を語る。 自己実現への満たされなさは察するに余りある。軸地たる思いで私は彼等の話を否定せず聞かせて貰っている。 しかし、私は仏法が世界に広まって欲しいのだ。それは創価学会が言う狭義の広宣流布では無く 宗教、宗派、無宗教関係無く、心の苦しみを滅する分析哲学的実存主義(仏法)としての広宣流布である。 夏休みの駅のホーム。アンパンマンやディスニーのテーマパークや映画に喜んで向かう幼児が ふとしたタイミングの悪さで、ホームから線路へ転落しそうになったら 誰でも何も考えずに、その幼児の腕をしっかり掴んであげるだろ? それを「仏性」とか「アプリオリな原理」とか「アガペー」だとか「機能的形而上学」だとか 色々な言葉で、色々な人は語るだろう。 ただ良く考えて見てくれ、理論や論理や哲学や思想や信仰が先立つ問題では無かった筈だ。 そんな事より無意識に幼児の腕を掴む筈だ。 音楽好きが作曲で身を立てようとする初学者の多くはこう質問する「音楽理論が難しくて未だに自作曲が作れません」 それに答えて職業作曲家は「音楽をたくさん聞いてください。音楽が先に存在して、音楽理論は後から作られたものです。音楽理論が先立って曲が書けるほど、この世界は資格試験社会ではありません」と
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200 :The Man Formerly Known as SARIPUTRA[]:2018/08/10(金) 15:27:55.75 ID:WvEx9eaj - どのような形であれ、また私は形にこだわらずに、全ての人々の幸せを願う。
それは「何かを手に入れたい」とか「何かの状態になりたい」という夢を叶える為の幸せでは無い。 いつ、どのような時でも、心の中に苦しみが生じたら「その苦しみを滅する」境涯になれる という幸せの形を願っているのだ。 人生全てがスムーズに流れ願望が実現しまくる人間なんて本当に極極少数であろう。 また、形而下の希望が実現しまくれる状況になっても心に苦しみを抱える人も何人も見てきた。 中学時代からの親友がシンクタンクの研究者だったのだが彼は才能と努力という徳目を持って生まれてきた奴だ。 彼は有価証券、株、仮想通貨、転換社債、私募、ファンド、税率の低い国へお金を逃す代理人代行業など 自分の才能に酔っているかのように激しくお金を世界中に回した。 何のキッカケか彼は実存について深く考え、悩むようになった。全ての有価証券など全てを現金に換えた。 全て合わせて300億円にもなった。1年ほど無知なる軽薄な取り巻きを楽しませた後 彼は自殺してしまった。 彼は演技をしていた。金を持っているのだから、幸せの演技はリアリティがあった。 しかし、だれも彼の心の苦しみに気づく者はいなかった。 彼には「対話」が必要だったのだ。皮肉な事に大金持ちの彼には 進言する人、「対話」をしてくれる人達から避けられてしまった。 彼は社会から疎外される立場に立たされていたのだ。 彼の死後、みんなは言った 「あんなに幸せな人が何故自殺なんかしたんだろう?」と 私にとって第一義的な事は、宗教も思想も関係無く、多くの人達の心の苦しみを少なくする事 なのだと確信を持ったのは、親友の自殺からである。 全ての人間の本来の幸福を切に願って 「The Man Formerly Known as SARIPUTRA」は元居た場所へと消えて無くなる。 悟りよ! 幸あれ!
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