- 日蓮って ver.44
479 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/07/28(土) 08:27:37.44 ID:i9ymqC2G - オウム残りの6人も、行ってしまったのか…。
前の七人と合わせて、十三人てことだから、 十三階段につながってんね。 麻原尊師と、十二使徒の受難。 とすれば、また別の意味で、数が揃ってますね…。 数字とか、言葉の符牒合わせで、 神秘主義は成り立つんだけど 法務省と裁判官は、そういう感覚が まったく頭にない人たちですな、 一人二人恩赦だして、微調整すればよかったのに…。 ※※ でも死刑囚とはいえ、テキパキと十三人も あっという間に処理してしまう手際の良さ。 これって、覚せい剤がらみの口封じ? 厚生省の麻薬取締局が、サリン製造の第七サティアンを ちょっと見せてくんない? と興味を持ってて、 でも警察はさっさと解体して証拠隠滅してしまった、 という阿修羅の記事を思い出した…。 昔から黒い噂のあった、連立与党のお〜、 某K明党のバックにいるう〜、 えーっと、また度忘れして、 どうしても名前が思い出せないな。 あっ、玄関でチャイムの音が鳴ってる…。
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480 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/07/28(土) 08:47:43.10 ID:i9ymqC2G - >>343 『欲知過去因、当観現在果』
大蔵経DBで検索すると、法苑珠林がヒットすんのか…。 法苑珠林(ほうおんじゅりん)は、唐代に道世が著した仏教典籍、類書。 668年(総章元年)成立…。引用する典籍は仏教のみならず 儒家、道教、讖緯、雜著など400種を超え…。 いわゆる雑学ダイジェスト集ですな…、 必ずしも仏典ではなくて、他にも 諸經要集とかいうのがヒットしてる。 ※※※であるから、欲知過去因当観現在果である、 と並べて使う一般的な成語と思われますが。 日蓮師匠は、各種ダイジェスト版とか、 平家物語のような小説、説話集、 初心者向けの仏教入門書みたいなのから、 つまみ食いやり放題で、数文字から 一文節ていどの引用を繰り返してるだけなのよ。 そしてその引用が正しいのか 原文を探し出して比較対照すれば、 ほぼすべて無関係でデタラメな理屈なのは かんたんにわかるんだけど、 ※※※※だから、※※※※(難しい漢文表現)である。 と並べられると、なんとなく見た目がそれっぽくて、 高尚な感じもするから、それで世間がダマされる。 でも、現在はネットとデータべ―ス検索あるから、 原文の居場所がすぐにバレるけどな…。
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481 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/07/28(土) 09:05:29.13 ID:i9ymqC2G - >>480
それで、欲知過去因、当観現在果は まったく仏教じゃないでしょ。 過去も現在も未来も何も見ないのがbodhi概念で、 いちいち過去だの未来だの見てるから 日蓮教は、俗物思考から抜け出せないのよ。 王道経典、般若心経の続編である、 金剛般若経の一節にある、心不可得は…。 (金剛般若経) 如來説諸心皆爲非心是名爲心。 所以者何。須菩提。 『過去心不可得。現在心不可得。未來心不可得』 須菩提。於意云何。 若有人滿三千大千世界七寶以用布施。 如来がいろいろな心(のあり様)について話すのは、 すべて心でないものの(説明をしたい)為で、 このことを心と名付けているのですが、 スブーティよ、これはどんなものかと言えば、 過去の心を得ることが出来ず、 現在の心を得ることも出来ず、 未来の心も得ることが出来ません。 スブーティよ、これがどんなことかというと、 三千大千世界にいる人が…。
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482 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/07/28(土) 09:25:31.93 ID:i9ymqC2G - >>481 この心不可得を重視してるのは、
13世紀中国は南宋の禅宗で、 道元禅師が南宋から持ち帰った膨大な量の 禅話集である、正法眼蔵の八巻に、 徳山和尚の心不可得、という話がある。 臨済とならぶ唐代禅宗ツートップ有名人の 片割れが徳山和尚ですが、 若いころは、金剛経の講義をして 全国を旅する経典学者だったようで。 ある旅の途中、道端で休憩していて、 餅を売るお婆さんが居るので、餅を売ってくれと、 徳山が言うと、婆が言うには、 和尚が学者さんならば、金剛経には、 過去心不可得。現在心不可得。未來心不可得とあるが、 わたしがこの餅を売ったとして、 和尚はどの心に餅を食べさせるつもりだい? と質問されて、まったく答えられず、 その場に立ち往生してしまう、という話。 ※正法眼蔵のなかで、道元禅師は徳山和尚のかわりに あれこれ答えを考えて書いてますが、いまいち わかってないなー、という感じ、 心不可得、を書いた仁治二年は、41才ぐらいか…。 曹洞宗と臨済宗の理解の違いというのも伝統的にあって、 でも、心不可得の答えは、話の中ですでに 徳山が回答済みですよ…。
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