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名無しさん@お腹いっぱい。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと74

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【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと74
777 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/26(火) 07:07:18.81 ID:gEQLzOo7
ここでは創価や正宗は悪く言われるし、創価アンチも悪く言われる。

自分は、創価や正宗、及び創価アンチも含めて、正義や悪をはっきりさせる集団が、この方たちのある意味受け皿になっていると思っている。

創価学会員や法華講員を知っている人なら思うだろうが、学会員や法華講員は何かしら感覚がズレていて社会にうまく適応できていないと感じる。
そして一方で、この人達は社会には馴染めないが、創価や正宗のような環境で初めて自己表現ができていると感じる。

社会とは清濁併せ持った環境。
それゆえ、善悪や敵味方をはっきりさせたがる人には向いてない。
社会の末端である町内会や集落においては、様々な意見が飛び交い、人間の裸の意見が混濁する。
こういう場においては、様々な人を受け入れてお互い協力し合うために、あいまいな玉虫色の結論がその場を収めて、意見の異なる関係の持続を可能にする。
それゆえに、玉虫色を受け入れずに自分の意見を押し通そうとしたり白黒をはっきりさせたがる人は嫌われ、つま弾きにされる。

顕正会員は自衛隊に非常に多い。
軍隊とは、白黒や敵味方が非常にはっきりしている組織。
玉虫色ではなく、白黒をはっきりさせたい人には格好の生活空間であり、自己表現の場。

学会員や法華講員や顕正会員は、ものごとを玉虫色という多様性で受け入れる能力に欠落があるタイプなのではないかと思う。
それゆえに、白黒や善悪という二元的なシンプルな判断で物事の解決がつく環境を求める。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと74
779 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/26(火) 07:33:52.44 ID:gEQLzOo7
その代わり、学会員や法講員や顕正会員は、白黒や善悪のはっきりした組織では、水を得た魚のように元気になる。
白黒、つまりあらゆるものを善悪や優劣に区分することに生き甲斐を感じ、そしてその区分された二極に基づいて、初めて積極的に活動できるようになれる。

これは創価アンチにも言える。
物事を敵味方や善悪にはっきり区別し、悪や敵と見なしたものを徹底攻撃する。

このような、白黒区分主義、物事を善悪や優劣分けして初めて行動ができるタイプの人間が、社会で馴染めるはずがない。
このようなタイプの人間にとっては、善悪二元論に基づく思想や集団や環境が格好の居場所となる。

このような居場所、つまり受け皿になっているのが創価や正宗、顕正。
これらの受け皿は、正邪をはっきり区分けして、この正邪という二元に基づいてあらゆる物事を判断し、その二極判断を規範とした行動原理が定まっている。
この二極行動原理は、多様性思考が出来ない人にとっては最高の居場所であり、二元思考という自分の能力の発揮の場。
だから、これらの方々は勝ち負けのような二極の行動原理においてはとてつもない力を発揮する。
同様に、創価アンチはアンチで、敵味方をはっきりさせて攻撃が可能な自己表現の場を求めている。
その場は創価や正宗批判の場。

私は、創価や法華講員や顕正会員は、発達障害的に脳に欠陥があるゆえに思考や行動に制約が課されていると推測している。
物事を二元でしかとらえられない疾患。
発達障害者が、前頭葉の疾患が原因と明らかにされつつあるおかげで、社会で受け止められつつある。
社会が、物事を二元でしかとらえられない人達を発達障害と同様に受け止め受け入れて、カルトにからめとられないような流れが必要に思う。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと74
843 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/26(火) 19:52:16.49 ID:gEQLzOo7
>>838
創価班でもなんでもいいじゃん?
なんで相手にレッテルをつけたがるの?
なんで相手を敵味方のどちらかに区分したがるの?
重要なのは文章の内容であって、その文章を創価寄りか創価寄りでないか区分することではないと思うけど。

これはあなたを非難しているわけではない。質問です。
興味を抱かせる題材として取り上げさせてもらっています。
興味あるというのは、尊重するあなたや創価アンチがやってることはある特定の共通性がある。
その共通性とは'検閲'。
文章の内容を吟味するのではなく、その文章を創価を擁護するものかそれとも創価を批難するものかという二極の観点を基準に検閲にかけている。

これは、完全に創価は悪で創価を擁護するものは絶対に許されないという態度。
そういう態度が駄目だというわけではない。
自分が興味があるのは、なぜ物事の中身を深く探ろうとせずに善悪二元のカテゴリー分けに執心しないといられないのかという人間心理。

なぜ自分がここに拘るかといったら、戦時中の非国民感情に非常に似ているから。
戦時中はアメリカやイギリスを擁護することは絶対に許されない。
ましてや、戦争反対の意見を表明すると日本国民扱いしてもらえなかった。
戦争を推進する軍事国家に疑いの声をあげようものなら、疑いの声の内容を全く聞いてもらえず'非国民'のレッテルを貼られる。
そして、近所中から袋叩きにあった。

このような、争いの渦中にある人間があらゆるものを'検閲'せずにはいられない心理状態。
これは、創価、正宗、創価アンチ、日蓮全てに共通している。

創価学会がなくならない、また学会員が創価信仰に熱狂する理由は、この'検閲'に代表される争いの渦中ににある人間心理が催す快感や恐怖にあると思っている。
検閲する快感、逆に検閲される恐怖。
人を裁く快感、人に裁かれる恐怖。
人は自分が裁かれるのを恐れるゆえに、先手をとって人を裁くことにより自分を防衛しているように感じる。
【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと74
845 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/06/26(火) 20:19:55.60 ID:gEQLzOo7
人間は、ただそのままでは攻撃的な心理は抱かない。
人間が攻撃的な心理を抱くのは、自分が攻撃を受けていると感じたり、自分が何か悪い要因を持っていて罪悪感や恐怖を抱いている場合。

自分が創価学会組織にいたときは、この恐怖心を創価学会員と創価学会を非難する者双方に感じていた。

創価学会員からは「もし創価学会が間違っていたらどうしよう」という恐怖心。
創価学会を非難する者からは「もし創価学会正しく自分が論破されたらどうしよう」という恐怖心。

別にそんな恐怖心にとらわれずに虚心坦懐に意見交換して、誤っているところは認めて良いところは良いと認めればいいと思うんだが、創価や創価アンチはそうもいかない。
創価や創価アンチは、とにかく自分が正しいか間違っているか、相手が正しいか間違っているかという、二極の結論を出さないといられない。
決闘というか果たし合いというか、単なる創価教義や創価の平和活動の是非が法論と名付けられ、自分が死ぬか相手が死ぬかとみまごうような切羽詰まった命懸けの試みとなる。

これらの理由は、学会員も学会を非難しようとする人も、心の中に常に善悪の闘争心を抱えているからだと思う。
そしてこの闘争に勝つために、常に自分は善で相手は悪という理論武装を身に付けることを怠らない。

これが政治家の心理なら分かるけど、宗教という心の安寧をはかる人達の心理状態としては違和感がある。
別の言い方をすれば、心に常に善悪の闘争を抱えている人が、創価や共産党といった理論武装団体に帰属先を見出だすのだろうか。


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