トップページ > 創価・公明 > 2018年06月15日 > H3FSrWsp

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スチールカン
日蓮って ver.44

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日蓮って ver.44
349 :スチールカン[sage]:2018/06/15(金) 01:11:26.90 ID:H3FSrWsp
>>348の愚人さん
> この世の幸不幸・成功不成功等々は、あの世で事前に計画したもの。

それは法華経の釈迦のように想起できないものですかね?
この世であの世を想像したら、あの世からこの世がみれるでしょうか。
博学な愚人さんしっかりしてください。
日蓮って ver.44
352 :スチールカン[sage]:2018/06/15(金) 13:03:07.16 ID:H3FSrWsp
>>351さん
誰の著書も読まず仙人みたいな私ではありませんが、
愚人さんとの話にそって述べさせていただきます。

色んな仏典を読んで釈迦の思想が解った読者がよく勘違いするのは、自己と釈迦を同一化としてしまう事です。
それによって「肉身は違えど心は釈迦」と思い込もうとする自性を強引に釈迦に近づけようとしていることでしょう。
しかしこれを概念とすることとアートマンを絶対者とするとでは違うのではないかと思うのですね。
自分の本心を客観的に感じるとり、ぼそぼそと独り言を話す人がおられます。
口には出さなくてもロボット以外は誰しもがこのような自性は持ち合わせているわけです。
アートマンとはまず主体が何であるかという根本を分ったうえで、共通する者同士の話になるかと思うのですね。
宗派が違う者どもが、「心は何であるか!」などど論じ争うこと事態が自らを失っているようなものと私は感じます。
我という中に述語は三千もあるかも知れませんが、吾は結局一人なのですね。

アートマンの原義はプシュケー「呼吸」とのことで、母体から離れた時から具わり得るものなのでしょうね。
生物すべての本能というべき極普通な永遠に続いてきた進化の根本の縁起や再生の主体は肉身だということでしょう。
この肉身こそが永遠の姿であって法華経での仏説の「久遠実成」とか日蓮の「久遠元初」だとかの言語の話よりも
遠い過去から続いてきているものだと思います。
浅はかな話にはなりますが、「今でしょう」の流行語が、過去の拘りを変換させるには名言だったと思います。
もし私が生まれ変わり説を信じる者でしたならば、あの世で事前に計画したものをもう一度この世で考え直すこと運命と思うようにしますw

(そういえば愚人さんとはここ掲示板以前に会っていますね。
 もうかなり前の記憶なのでいつ頃だったかははっきりしてませんが、この世以外のあの世で説法した者が今の私です。
 やっとこの世で私もアンチになることができましたことをご報告しておきますね。あの時はどうもスミマセン。)
例えばこんな感じでどうでしょうか。


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