- 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと71
703 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 07:40:37.35 ID:BupLpH8s - そもそも創価学会って宗教じゃないから。
「自分は世界平和を推進する菩薩だ」 人間という、ひとかどの人物、ヒーロー、好い人になりたがるこのよう悲しい人間の性、つまり過剰な自意識を満足させるための組織が創価学会。 なぜなら、これこそが人間の行動を最も駆り立てる感情であり、最も人間の組織への隷従を可能にする動機だから。 「私は、世界を平和に出来る唯一の真理を知って護持している」 「世界平和は自分の肩に掛かっている」 「困った人々が自分の助けを必要としている。」 これ以上、人間の行動を駆り立てる動機はないよ。 テレビ番組のアニメ・ドラマ・時代劇、漫画や舞台は勧善懲悪のヒーロー物語や好い人物語に溢れている。 創価学会に入会すれば、これらの憧れの勧善懲悪のヒーローや好い人に誰でもなれてしまう。 そのために創価学会は、教義や組織や行動を「地涌の菩薩が世界を平和にする」というストーリーに基づいて構築する。 それゆえに創価学会は、平和・文化・教育に基づいて識者から評価される、権威から勲章を授与されるための平和行動イメージに基づく総体革命という名のユートピア設計図を作った。 このユートピアをでっち上げるために、創価学会は世界の大学や研究機関に寄付をしまくり、高額な講演料や原稿料や贈り物で識者を接待。 各種大学や識者は創価をこれ以上ないほど称賛するくせに、誰一人として入会はしない 創価学会とは、会員が「私は正義の味方」という勧善懲悪願望を叶えるための仮想空間なんだよ。 自分が憧れの正義の味方になれるんだったら、会員はいくらでも金を払うし、いくらでもタダ働きするし、いくらでも創価の敵を攻撃する。 しかしこの創価学会とは、金や会員のユートピア酩酊により作り上げられた張りぼての演劇舞台に過ぎず、会員は舞台上で菩薩の演技を現実と思い込まされていただけだったとさ。
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709 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 09:18:24.34 ID:BupLpH8s - >>707
人間は拡張願望を持ちます。 自分の仲間を増やしたい、自民族の親族を繁栄させたい、自分の会社を大きくしたい、自分の商圏を広くしたい、自国民の領土を拡大したい。 人間の自我というのは、己の生存を図るゆえに敵を破って己の仲間やテリトリーを広げる願望を本能的に色濃く持っています。 創価というのは宗教でなく、こういった人間の本能的、プリミティブな人間の願望を刺激するのが得意な宗教です。 メサイアコンプレックスやヒーローシンドロームもそうですが、これらは人間の文明原初の古代叙事詩から引き継がれている人間の性です。 それゆえに、創価学会からは自我という人間の動物的な原初感情に纏わる、ヒーロー願望、拡大願望と、勝利願望、所有願望は切っても切れません。 これらの人間の動物的な原初感情を、創価学会は上手に平和としてカモフラージュしています。 しかしこの創価の平和の実際は、つまり創価の菩薩願望、広宣流布願望、勝利願望、利益願望とは、自我に基づく拡張願望から派生しているものなんですよね。 創価学会は、自我の拡張願望を宗教用語を用いて平和や宗教的使命に見せかけているだけなんです。 例えば創価は、征服願望を広宣流布という用語に置き換え、ヒーロー願望を菩薩という言葉に置き換え、所有願望を現世利益という用語に置き換えます。 それゆえに、創価学会がこの平和思想、いや、拡大願望に基づく特定思想を錦の御旗にした自我に基づく征服行動をやめるはずがありません。 人間は原初的な拡張願望から進化しなければなりません。つまり自分の行動や考え方を人に押しつけて拡大を図ることに喜びを見出だす性向の誤りに気づくのが人間の理性の発展です。 しかし創価は真逆で、人間の原初的な拡張願望を、宗教団体の推進エネルギーとするためにフル活用しています。 それゆえに、創価学会員による平和活動、いや、ヒーロー願望や征服願望に基づく人への押し付け行動がなくなるはずがありません。
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712 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 10:59:39.29 ID:BupLpH8s - >>710
カルトの特徴として、受容能力の低さが挙げられると思います。 この世の性質の本質として多様性があげられます。 自然には何一つ同じものがない。 それでいながら自然は異なるものどうしがイサカイを意図的に起こさず(生存競争はありますが)、バランスを保って同居しています。 なぜなら、宇宙とは多様性そのものであり、多様性に適合するには多様な性質が必要で、また、多様な性質が、異なるものどうしのお互の長短を補いうことにより、お互いの生存を助け合えるからです。 しかし一方でカルトは同類を好みます。 カルトは同じものどうしが集まり、同じものどうしのみで協力しあう。 カルトがもし異分子を取り込んだら、異分子を無理やりカルトと同じ考え方に矯正します。(折伏・謗法払い) もし異なるものを同じ考え方に矯正できなければ、排除・攻撃します。(撲滅唱題、除名処分) 創価やオウムは、多様性を受容できません。 それどころか、自分たちのみが正義で、それ以外は世界の平和を邪魔する悪として滅ぼそうとします。 この受容能力の低いカルトの性向は、自分の遺伝子のみを残そうとする本能的で偏狭なエゴに基づく自己拡張願望の現れと捉えることが出来ます。 宗教の危険性を判断する上で、その宗教の受容能力の大小を調べることが、極めて正確な判断材料となり得ます。
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716 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 12:14:07.17 ID:BupLpH8s - >>715
楽しませてくれてありがとう。 ゴールデンウィークくらい休まさせれくれよ。
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717 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 12:43:06.64 ID:BupLpH8s - >>713
自分はマトリックスという映画はよく分かりませんが、マトリックスという概念は仏教の縁起思想と似ていて好きです。 自分は創価学会やカルトを批判していますが、実際は何でもいいと思っています。 あらゆる全ては縁起により起こっていることで、起こることは全ての連関の結果だからどうしようもない。 カルトを信じることもカルトを批判することもそこに善悪は存在せず、生命の戯れとして起こりうる出来事が起こるべくして起こっている。 この縁起やマトリックスによって生じる出来事という現象は、輪廻という時空を越えた状態にも作用しています。 創価学会やカルトやあらゆる物事は、時空を越えた生の戯れの一部として、神のリーラとして輪廻のドラマに必要不可欠なものとして必然的に起こるべき人に生じている。 これらの縁起、あるいはマトリックスは、繰り返しますが善悪は存在しない。 各々の無限の魂が、自分の好む存在形態を意識し、その意識が各種魂と融合し合い、最も最適な形で三次元世界に物理的出来事として結実している。 しかし、人間は表層意識ではこれらの意識の融合は認識できない。 魂の意識の連関や交換は、表象意識では届かない無意識や阿頼耶識レベルで生じている。 こういった話は、今まで偏狭な創価学会教義のみでは説明が不可能でした。 しかし、東洋哲学研究所ヨーロッパ支部の松戸さんのお陰で学会員にも伝えることが出来る時代になってきたと思います。 松戸行雄さんの日蓮仏法3.0には、アストラル体やコーザル体という、人間が他のの生命と随時意識交換をしているエネルギー体の説明が出てきます。 この人間のエネルギーフィールドはインド哲学や神智学が提唱している概念ですが、時空を越えた人間の性質を表現するには狭すぎる日蓮教義には当然なくて限界がありすぎる。 それゆえ松戸さんは日蓮仏法以外に神智学の概念を使わざるを得なかったと思います。 ちなみに創価学会の信奉しているガンジーは、神智学協会の会員でした。
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720 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 13:19:29.79 ID:BupLpH8s - 真理や正義など存在しない。
あらゆるものはマトリックス、あるいは縁起であり、それらの連関の集積が一時的に個別性として現れる。 この仮として一時的に現れる個別性、凝固性を人間は現実と呼び、仏教では仮諦と名付ける。 マトリックスや縁起とは、空諦に生じる無限の意識の戯れ。 よって空諦とは、現実と呼ばれる仮諦を生じさせる子宮といえるだろう。 マトリックスはスーパーコンピューターのように各種魂の意識を加減乗除し、最適解を瞬時に弾き出す。 意識の変化により最適解は変化し続けマトリックスも変化し、そのあまりにも速い変化の連続が、人間の視力では捉えられずさも持続するように見える。 人間は、このマトリックスの変化の連続を一連の継続的な繋がりと見なす。 そうすると、時や空間と呼ばれる持続性がさもあるように錯覚する。 人間は知覚の不完全さゆえにその変化の全体を把握できず、連続を切り取った部分のみを近くして現実と呼ぶ。 あらゆるものはこの戯れの一部。 創価もない、カルトもない、正義もない、私もない。 あらゆる個別性は、縁起やマトリックスの座標点を永久普遍の現実と見なす視点から生じる。 それゆえ、個別性は幻想であり、この世のあらゆるものは幻想。 覚者は、この人間の視点を、自分という個別の視点からマトリックスあるいは全体に広げると意識の覚醒が生じることを理解していた。 人間の意識は、肉体という仮諦への執着から離れると、あらゆるものを観照する気づきへと変化する。 これが悟りへの階梯。 創価もカルトも正義も宿命も輪廻も消えてなくなる。 あなたはもういない。 マトリックスも縁起もない。 マトリックス全体に広がった意識は、仏、あるいは神、あるいはパラブラフマンとしか呼べないような無境界の包括性がマトリックスや縁起を生じさせていたことを理解する。 悟りの階梯を進むとそれと一つになり、あらゆるものを現出せしめる可能性としてあるがままの状態となる。
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723 :名無しさん@お腹いっぱい。[]:2018/05/01(火) 13:49:18.61 ID:BupLpH8s - 自分がこのようなことを語り始めたのは自分でも不思議な感覚。自然とこのような内容を語ることが起こっている。
何かがそれを求め、また自分も語りたいという意識の集積から縁起として生じているからどうしようもない。 じゃあその語り始めるきっかけとなった根本動機を今さら思い出した。 ヨガの教えで「太陽の態度」というものがある。 この「太陽の態度」とはなんなのかというと、自分が絶対正しい、他は間違っているという絶対的な自己肯定と、自分以外のものを排除する排他的姿勢。 太陽の態度を直接的に表現すれば、創価学会の態度そのまんま。 それでは、この太陽の態度とはどのように生じるのか? ヨガでは右の鼻がピンガラ( 太陽)、左の鼻がイダー(月)と考え、ピンガラに片寄った呼吸を頻繁に行うと人間は太陽の態度に傾く。 自分はこの事を聞いて、南無妙法蓮華経の題目とは、何らかの理由でヨガのピンガラと関係するのではないかと思い始めた。 南無妙法蓮華経を唱える呼吸の働きが、何らかの形でピンガラを活性化させる原因になっているのではないかと。 逆に左の鼻であるイダーとは月の態度と呼ばれ、真実はたくさんあってどれでもいい的な、受け身で優柔不断な態度。 同じく他力本願な南無阿弥陀仏の朗唱は月の態度の働きであるイダーを促す働きがあると推測する。 太陽は陽で、月は陰。 南無妙法蓮華経は陽で、南無阿弥陀仏は陰。 これらのマントラは人間が自分がかくありたい状態に導く手段であり、南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も人間のバランスを取る上で両方必要。 陽の生き方をしたい人は自ずとピンガラを活性化させる南無妙法蓮華経を選び、陰の生き方をしたい人は自ずとイダーを活性化させる南無阿弥陀仏を選ぶ。 どちらが正しいも上下もない。 好きな方を選べばいい。 創価学会にいることが苦しくなったら、あなたには陽は向かなくなったということだ。
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