- 日蓮って ver.44
134 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/04/29(日) 08:32:41.52 ID:ZlB2eiDb - >>58>>59
龍ノ口御法難記念日 http://www.honmon-butsuryushu.or.jp/pg/attemple/item/xn71512557/ ↑この絵柄に相当する首切り処刑の記述が 種々御書にはないという話をさらに考えてみる…、 (種種御振舞御書) …にとりつきてこしごへたつの口(腰越海岸龍の口)にゆきぬ、 此にてぞ有らんずらんとをもうところに(ここで首を切るんだろう) 案にたがはず兵士どもうちまはりさわぎしかば、(思った通り兵士が騒いでいる) 左衛門尉申すやう只今なりとなく(金吾は今首切りですと泣く)、 日蓮申すやう不かくのとのばらかなこれほどの悦びをばわらへかし、 いかにやくそくをばたがへらるるぞと申せし時、 ※ここから光り物シーン、 江のしまのかたより月のごとくひかりたる物まりのやうにて(鞠のような形) 辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ 人の面もみへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、 『太刀取目くらみたふれ臥し』兵共おぢ怖れけうさめて一町計りはせのき…、 ※たぶん、日蓮と金吾は鎌倉御所から由比ガ浜、江の島海岸、 龍の口を経由して相模の庄屋宅へお預けとなるために 護送中なのであって…、 という説明を平左衛門から受けていないらしく、 ふたりでぴーぴーぎゃーぎゃー大騒ぎしてるだけで、 どっちも死ぬのが怖い、気が小さい人物だなーという感じ。 それで、どーしても首切り処刑が光り物の霊験で、 中止になったという妄想を主張するなら、 どの部分が中止になった記述なのか? または中止になった理由はなに?
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135 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/04/29(日) 08:51:09.02 ID:ZlB2eiDb - >>134
処刑がなぜ中止になったのかとか、その理由については、 種々御書の龍の口部分には記述が見当たらなくて曖昧なまま、 龍の口は、日蓮が処刑されると思いこんでる金吾の想像とはちがって、 首切りのために立ち止まったわけではないらしく、 苛立つ日蓮師匠が「さっさとやれよ!朝になったら見苦しいぞ…」 と大声でののしっても、返事が帰ってこなくて、そのうちに… 「はるか計りありて云くさがみのえちと申すところへ 入らせ給へと申す、此れは道知る者なし (※道がわからなくて立ち往生してる…) さきうちすべしと申せどもうつ人もなかりしかば さてやすらうほどに或兵士の云くそれこそその道にて候へ と申せしかば道にまかせてゆく」 ※いろいろと相談しているらしく、相模の依智という所へ 行かなくてはいけないと言ってるのが聞こえるけれど、 だれも道を知らなくて、先に行こうともしないので 一人の兵士が、「そこの道を行ってみたらどうだろう?」 というので道なりに行ってみることにします…。 「午の時計りに(お昼ごろ)えちと申すところへゆきつきたりしかば 本間六郎左衛門がいへに入りぬ、 さけとりよせてもののふどもにのませてありしかば …(しばらく日蓮さんの我田引水、宣伝キャンペーンがつづき)…、 六郎左衛門が郎従等番をばうけとりぬ(警護を交代して)、 さえもんのじよう(左衛門尉=金吾)もかへりぬ。」 結局、道がわからなくて、いったん小休止してたのが 龍ノ口である、というのが種々御書のストーリーでしかなく…。
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136 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/04/29(日) 09:09:55.74 ID:ZlB2eiDb - >>135 「其の日の戌の時計りに(午後八時ころ)かまくらより
上の御使とてたてぶみ(上意文)をもちて来ぬ、 頚切れというかさねたる御使かと…をもひてありし程に …右馬のじようと申す者立ぶみ(上意文)もちてはしり来り ひざまづいて申す、今夜にて…候いつるに(今夜処刑かと思ってたら) かかる御悦びの御ふみ来りて候(死罪ではない手紙)」 夜になって、とりあえず罪は保留でそのまま 庄屋宅にとどめ置くようにとの鎌倉からの 手紙がとどく、ここで初めて公式に首切りではないとわかる、 でも、金吾は昼のうちに帰ってるから、そのころには もう事情がわかってたみたいで…。 この日の日付で、中山の富城常忍に宛てて、 佐渡流罪のことが決定したと書かれた御書があるんで、 この立ぶみにもそのことが書かれていて、 ここではじめてどんな処罰になるのかが確定したらしい…。 光り物はたしかに書かれているけど、 首切り処刑の記述も、光り物のせいで処刑が中止になったとも、 どこにも書いてないから、龍の口処刑は日蓮-金吾の思い込みでしょ。 日蓮教団は全員で首切り処刑の幻覚を見てるみたいですが。 >>104 『私を切ろうとして構えていた』太刀取りは、 目がくらんで、倒れ臥してしまいました。 ↑この『』部分が慈本寺住職さんに見える妄想の幻覚ですよ。、 どこにもそれを示す記述はなくて、太刀取り=首切り人、 と日蓮-金吾が勝手に思い込んでいたとしても、結果的にはかん違いだったという。
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137 :名無しさん@お腹いっぱい。[sage]:2018/04/29(日) 09:21:45.67 ID:ZlB2eiDb - >>133
これも年表貼っとけばいいのか、 日蓮御書から「安国論」で検索してその結果を年表順に並べると…。 1260年7月 立正安国論を幕府に提出(と本人言ってる) 1261・・・ 62・・・ 63・・・ 64・・・八年間、安国論についての記述がない 65・・・ 66・・・ 67・・・ 1268年1月18日 蒙古より国書届く。 ・・・ 同4月5日 安国論御勘由来←これが「安国論」の記述の初出 ・・・ ※この年表が強く示唆してんのは、 安国論が1268文永五年以降に成立したってことでしょ…。 1260文応元年に幕府に提出したというのは完全な嘘で、 まだ構想すら出来てないから、御書に記述がないわけで…。 当時はこの嘘はまったく通用してなくて、 でもなぜ現代では、カンタンに世間をだますことが出来るのかと言えば、 それは、市川市教育委員会が公的機関の権威を利用して、 日蓮教の嘘八百の犯罪に加担してるからdesuyonee.....、 安国論の中身は、誤字脱字と間違いだらけなテキトー引用しかない 自分でなんか考えた部分あんの? みたいに無内容な、 精神病のおっさんが考えたデタラメ妄想文書でしかない…。
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